枯れるにはまだ早い。 『ヒューゴの不思議な発明』

生きていれば段々と思考が保守化するというか、要は頭が固くなってくる訳で。
できるだけ柔軟に色んな物を吸収したいという意欲はあるんだけど、ついつい「昔は…」とか「こんなの○○じゃないよ」といった考えが頭に浮かびそうになる。
同じ口で「いつまでたっても昔の価値観に縛られてツマンナイ」なんて他人を批判したりして。
そうならないように頑張りたいものです。

と言う事で
ヒューゴの不思議な発明

スコセッシの新作は…と言っても実は『ケープフィアー』以降の作品はフォローできていない。リバイバル上映の『ラストワルツ』とDVDで『シャッターアイランド』を観ただけ。
避けていた訳ではなかったんだけど、何となく見逃していた。逆に言えば見逃していてもそれほど後悔していなかったともいえる。
どうしても『タクシードライバー』や『レイジングブル』『グッドフェローズ』といったマスターピースと比較して「まあ、スコセッシも最近はね」なんて頭の悪いスタンスを取っていたのも事実。
今回も予告編を観ても強く惹かれる事はなかったし、スコセッシの3Dというのもピンと来ていなかった。

結論から言うと、少し物足りなさを感じる一方で、後半溢れだす「映画」へのリスペクトはグッとくる場面も多く、映像的エクスタシーを得られる画面も多い。


特にメリエスの撮影現場を再現した場面は美しかった。ブルーなセットと艶やかな色の人魚たちや花火の画面が気に入っている。
そう。これはヒューゴ少年の物語というよりは映画作家ジョルジュ・メリエスの物語なんだよね。
となれば後半ジョルジュ・メリエスに視点がシフトしていくあたりから一気に引き込まれていったのは当たり前なのかもしれない。
今見れば単純極まりないように見えるメリエスの特撮技術。しかしそういったフィルムを切ったり繋げたりして作られたメリエスの「発明」には賞賛せざるをえない。フィルム1コマ1コマに彩色してカラーにしたってのは知らなかったけど、いや凄いね。まさにコロンブスの卵的思考。
と同時に現在にも通じる映画(産業)のクライシスも描いていて、フィルムが溶かされてハイヒールの材料になっていく描写は、やはり痛々しい。
そういったスコセッシの先達への目配せや「映画」へのリスペクトといったものが感じられる部分には素直に心打たれる。


そういった意味でいえばスコセッシがこの作品を3Dで撮った事にもやはり意味があった、と言わざるを得ない。
残念ながら列車がこちらへ近づいてくるだけで思わず身をよけた、というようなナイーヴさを我々は持ち合わせていない。
そんな我々がのけ反るとすれば、それは現時点ではやはり3Dという事になるだろう。最先端の技術を使うという事が、まさにメリエスを語る映画には必要であった、というね。

個人的にはラスト近くメリエスがアップで語る場面が印象的だった。特に派手なアクションも鮮やかな映像美というわけでもないんだけど、人物をドーンと捉えた画面には不思議な3D効果があったように思う。文字通り引き込まれる感じというか。何かね、良いんですよ。ただ飛び出したり奥行があったりっていうだけで終わらせないあたりにスコセッシの矜持を感じた、とあえて言っておきたい。気のせいかもしれないけど。

ヒューゴ少年やイザベラを演じたクロエ・グレース・モレッツも良かったとは思うけど、思いのほかサシャ・バロン・コーエンが良い味を出していた。
前半のドタバタには少し苦笑いだったけど、花屋の娘(チャップリン『街の灯』を少し連想する。別に盲目じゃなかったけど)との触れ合いや終盤の職務と人情板挟みの場面は、結構涙腺を刺激された。

あとは機械人形くんの顔。これは秀逸でした。なんとも憂いを帯びたあの目。
考えてみればメリエスも機械人形君の部品使ってカメラ作ったりしてたんだよね。何と言うかメリエスの映画作りに貢献していると同時に、まさに身を削っているという哀しさ。
そういう哀しさを体現するような表情だったと思う。


と言う事で。スコセッシの心意気も良く分かるしグッと来た場面もあったんだけど、ただ不満を言うとすればもう少し後になって撮っても良かったんじゃないかな、なんて思ったり。
80歳くらいになって「ちょっとこんなの撮ってみたんだ」って感じの作品というのが第一印象でした。