綺麗な最期なんて…させない。『メランコリア』

ちょっと鬱状態になることはそれほど不思議な事ではない。
あるいは新しい環境に身を置かなければならない時、どうしようもなく不安に包まれるというのは別におかしいことじゃない。
そういった事態に陥った時、ちょっとした対策で、心の安定を図るなんてのは誰でもやってる事だろう。
アルコールを精神安定剤の替わりに摂取したりね。

と言う事で
メランコリア

まさにタイトル通り、全編メランコリーに包まれた作品。看板に偽りなし。
タイトルバック的役割の冒頭のイメージシークエンスは、「ベネトンの広告」のようだ、と皮肉のひとつでも言いたくなるが、そうはいってもやはり魅せる画面には違いない。
ワーグナーの音楽はとても効果的に響いていた。
ただこのままこういったイメージ映像で押し切られたら嫌だなあ、という不安がよぎった事を告白しておく。

キルスティン・ダンストは、序盤から「ああ…病んでるなあ」と分からせるオーラで、というか登場人物全体において、ちょっとした表情や仕草でキャラクターの心理状態を表現するのが上手いと感じる。
この辺はラース・フォン・トリアーの手腕ですかね。って言っても彼の作品、実は初見なので良く分からないんだけど。
シャルロット・ゲンズブールキルスティン・ダンストが姉妹に見えないという事は差し置いて、(一見)良くできる姉と不安定で危なっかしい妹という図式は、短い時間と抑えた描写から伝わってくる。

ジャスティンの部とクレアの部という二部構成。
第一部。もしかしてジャスティンのマリッジブルー(しかし新郎マイケルの不憫さ。あの人ステラン・スカルスガルドの息子なんだね)って話だけじゃないのか、と思わせる情緒の不安定さが徐々に「誤魔化しようのない不安/そして他者との断絶」に変容していく様。
そして第二部においては、ジャスティンの不安定な精神状態はやがて明晰な視点を持つ者のように次第に変化していく。
クレアが不安パニックに侵食されていくにつれて、ジャスティンの無表情な視線は冷静で達観した眼差しに見えてくる。

「私には分かるのよ」


ジャスティンの達観が何に由来しているのかは分からないが、終盤クレアが最期を迎えるにあたって心中を提案する場面のやりとり。
テラスで(もしかしたら薬入り)ワインを飲みながら、死を迎えようとするクレアに対して
「最低のプラン」
と言いきるジャスティン。
まるで「そんな綺麗に、何かを誤魔化すように最期を迎えるなんて」と断罪するかのように感じた。

一方で、じゃあピラミッドパワーみたいな「シェルター」で死を迎えるのが正解なのか、と言えば。
はて、どうなんでしょうね。

正直まだ消化はしきれていない感じだ。
でもそれで良いような気もしている。


とりあえずワーグナーが頭に鳴り響いている状態です。