Battle without Royality. 『スーパーチューズデー〜正義を売った日〜』

日本の社会派映画(ドラマ)だと政党は民自党、大手マスコミは毎朝新聞とか東都テレビとかだったりする。
その点アメリカの場合はスバリ共和党民主党って固有名詞でフィクションを作る。
ていうか共和党民主党というのは大統領とかホワイトハウス同じように代替不可能な存在と言う事なんですかね。

と言う事で
スーパーチューズデー〜正義を売った日』


期せずしてライアン・ゴズリング祭りとなった週末。映画の出来としては断然『ドライヴ』に軍配が上がるのは否めない。
前半少しテンポが悪い感じがして、入りこむのに時間を要した。距離感がなかなか縮まらないというか、キャストが良いだけに少し勿体ない気もする。
とはいえ中盤からは政治サスペンス的盛り上がりもあるし、さて主人公はどういう選択をするのか?というスリルもあって悪くはない。
ジョージ・クルーニーが下衆な側面をもったキャラクターを演じるのも珍しいし、いかにも曲者的オーラを発しているフィリップ・シーモア・ホフマンが何気に一番誠実な人間と言える気もしてきたりという部分もあったり。
ポール・ジアマッティジェフリー・ライトも良かった。
この辺はジョージ・クルーニーの人徳というのか渋めの良い役者が集まったと言う感じがする。
こういう話だからだろうか、色々と想像してしまって、例えばモリーがスティーヴンスに近付いたのも何か裏があるんじゃないか、とか考えながら観てしまう。
そういう意味では「え?そうだったのか!」的驚きは少ないが、それでもポールやダフィーの1枚上手ぶりが分かる終盤は「海千山千、腹黒い政治の世界ですなあ」という感心をしてしまう部分もあってそこは楽しめる。楽しめるっていうか、まあ政治ドラマっぽい空気はあった。


ティーヴンスは劇中でモリス候補への忠誠心を口にする。「彼の正義を信じているから彼のサポートをするのだ」的な台詞で相手陣営参謀ダフィーの誘いを断っている。それはもちろん嘘ではないだろう。
しかし、彼はダフィーに会いに行っている。
「どう思っていたかは関係ない。行動が重要なんだ。君はそれを選択した
と上司のポールが言うように、スティーヴンスの忠誠心の基盤は緩かったのかもしれない。
もちろんモリス候補の「ある不誠実さ」を目にした事も要因の一つとは言える。でも、その事実を知った後でも彼は、その「不安要素」を排除する方向で動く。
モリス候補の選挙戦を成功させるべく彼なりに努力しようとはしている。モラルよりは忠誠心をここでは選択している。一応。

彼が「モリスの不誠実さ」が生んだ悲劇を目にして起こす行動は、リベンジだろうか。
リベンジかもしれないが、それは自分の為のリベンジ、一発逆転を図ったに過ぎない気がする。
彼は「悲劇的な出来事」を自分の切り札として利用している事からも、そう思える。

すでに彼の忠誠心はモリスにはない。もちろん一般的な意味でのモラルへの忠誠心もない。極端に言えば、合衆国憲法にさえ忠誠心を持っていないかもしれない。
唯一あるとすれば選挙戦に勝つ事。その事のみに忠誠を誓っている、って事なのかしら。

この辺の修羅への道を歩む、って感じの不穏感はそれほど悪くなかった。
キッチンでのモリスとスティーヴンスの探り合い場面もそれなりにスリルあったし。でも、もうひとつダークサイドに堕ちて行くややるせなさ感があっても良かったのかな、という気もする。

と言う事で、キャスト陣だけでもそれなりの満足は得られるが、今ひとつグっと来るところの足りない「惜しい」感じの作品。というのが正直な印象。

ちなみに原題は "The Ides of March" 3月15日の事だそうで、シーザーが暗殺された日らしいです。
裏切り者の日って事ですか。