バッドでハッピーなエンディング。 『テイク・シェルター』

あの日の直後、「ああ、今日は雨が降るから出かけない方がいい」なんて言っていた。
あるいは天気予報の風向きを気にしながらマスクをつけて外出しなきゃ、なんて思っていた。
実際に行動に移さないまでも、いざとなれば東京を離れた方が良いのか、といった事をまったく考えなかったかと言えばうそになる。
しかし今では多少の雨なら濡れて帰るし、移住を真剣に考える事はない。せいぜい非常用品を詰めたリュックを用意しているくらいだ。

どちらが愚鈍な行動なのか。
正直、それは分からない。

と言う事で
テイク・シェルター

恐ろしい災いが来ることを信じて、というよりはその不安に取り憑かれて周囲から浮いてしまう主人公。
嵐の襲来に備えてシェルター建設に心血を注ぐ姿に感じる狂気。
と聞くとなんとなくシャマランの名前が浮かぶ。
それはそれでシャマラン好きとしては全く問題ないんだけど、予想外に真面目なスタンスの映画だった。
ところどころ琴線に触れるというか、心を掴むような部分があって何度か泣きそうになった事を告白しておく。

主人公の不穏な行動とそれに対比するような鮮やかな青空や草原、そして明るい日差し。
そこに放り込まれた違和感そのものを体現したかのような男。

このマイケル・シャノンの顔が素晴らしい。
その遠近感が狂うような頭のサイズと頬を引きつらせた表情は必見で、それだけでも観るに値する、とまで言いたい。
彼の言動は、一般的に言って常軌を逸している。自分が見る悪夢を根拠にした「不安」と周囲とのリアルな人間関係にまで影響を及ぼしてしまう「暴走」が、マイケル・シャノンの表情に現れている。

一方、ジェシカ・チャステインは、『ツリー・オブ・ライフ』の時にみせたどこか神秘的なビジュアルとは違ったリアルな身体つきで、現実的だが愛を感じる妻を演じていた。彼女もまた力のあるところを見せた。
夫の行動に対する彼女のリアクションは、「真っ当」なもので生活費や娘の手術費、あるいは年1回の楽しみであるバカンスの事などについて夫に対峙する。
「たまには普通の事をしたいのよ」


マイケル・シャノンの狂気と哀愁のある顔とジェシカ・チャステインの現実的ではあるが慈愛に満ちた表情。
特に終盤近くのチャリティー食事会での二人の抱擁には思わず涙腺がゆるんでしまう。

その慈愛こそがラストに繋がると思うんですけどね。幸か不幸か。

カーティス(マイケル・シャノン)の行動は、「絶対それ後で大変な事になるだろ」と思うようなことばかりで、実際に伏線がすべて悪い方向へ回収される。
会社をクビになったり娘の手術費用が払えなくなりそうになったり妻サマンサ(ジェシカ・チャステイン)を困らせるような事ばかりだ。
カーティスはそれが悪夢が根拠であるという自覚がありながら、そこに「啓示的」なものを見出してリアルな世界にそれを持ちこむ。と同時に、そういった自分の行動が、何かしら精神的な疾病から起こる事ではないかという疑惑も抱いている。この自分の精神状態に対する疑惑は、しかし冷静な行動を促すことにはもちろんならない。更に不安を増大させることになっている。
嵐が来るという不安と自分が狂っているんじゃないかという不安は、決して因果関係にならず「不安のインフレ」状態として彼を襲っている。
俺は狂ってるかもしれない。でも嵐は来るんだ!悪夢で見たんだ!

チャリティー食事会でカーティスが抑えていた感情を爆発させた時、サマンサはそれを慈愛に満ちたハグで包む。
いや実際には、そこには諦めといった感情もあったかもしれないが、この場面で見せたカーティスの「この不安はどうしようもないんだ」というような眼差しに対するサマンサの行動には心動かされた。

終盤で実際に嵐が来た時に、少し妙な感動をしてしまったのは何故だろうか。
何となくカーティスが報われたような錯覚をしてしまったのかもしれない。ちょっと良く分からない。
しかしそれも結局は、一般的な台風のようなもので世界は終わっていなかった。ガスマスクも必要ないごく普通の眩しい世界。

このシェルターから出る描写は、まさにサマンサによるセラピーのようだった。自分の殻から飛び出しなさいという陳腐な隠喩めいた眼差しでサマンサはカーティスに鍵を開けさせる。

ここで終わっていれば「狂っている事を自覚した男」という話になっているところだ。
家族で力を合わせて治療して行きましょう。てなもんで。

しかし。


ラストで娘ハンナやサマンサが見ている災いの様子は、果たしてリアルなのか。リアルであれば、それは不幸な出来事だ。茶色い雨や嵐は世界を荒廃させる事だろう。
と同時にカーティスが間違っていなかったという証明にもなる。
あの人は正しかったんだ!
実際に嵐が来た事で、カーティスが救済されたと感じる。

あるいは。
ハンナやサマンサはいつの間にかカーティスに影響を受けているのかもしれない。知らず知らずにカーティスの悪夢世界に囚われてしまったのかもしれない。それはもしかしたら幸せなことかもしれない。
皆で狂えば良いじゃない、家族なんだもの。

セリフなく、ただ見つめ合うカーティスとサマンサ(とハンナ)を観ていると、不幸せかもしれないが幸せなエンディングという気がしてしまう。

サマンサの手に落ちた禍々しい雨の色を観てそんな事を思った。