eye of the tiger 俺は虎の目をしているか。 『ライフ・オブ・パイ』

二十歳くらいの頃だったか、友人が「時に美しい芸術は、見るに堪えない環境から生まれる」みたいな事を、もちろんもっとくだけた言い方で飲みながら主張していたことがあった。
まあ、なんとなくわかる気がしないでもない。

という事で
ライフ・オブ・パイ』(3D)

正直、アン・リーの過剰な「映像美」ってのも場合によっては鼻につきそうだなあ、という予感もあった。
ので2Dでも良いかな、と思っていたんだが結局は3D環境で鑑賞した。
しかもアイマックス劇場で。
で、結果としてこれは正解だった気がする。
今まで何度か3D映画は観てきたが、一番ストレスを感じない体験だった*1
アイマックスは昔品川にあった頃に、一回観たが*2、初体験といってよく、いやなかなか快適な鑑賞条件でありました。400円の差額は十分コストの価値がある。

そんなアイマックス劇場で観た映像は確かに美しく、それは時にリアルからは、かけ離れているが決して鼻につかない。というよりもむしろその「ファンタジックな映像」こそが、結果としては必要であったということにおいて正しいということになる。
パイと漂流する虎、リチャード・パーカーくんは、それがCGであると判っていても何と言うか妙な「愛おしさ」のようなものを感じたりして。
しかしだからといって、虎と漂流して何だかんだあって、虎と友情が芽生えて「ああ、凄い体験だったなあ」という映画だと思っていると、良い意味で裏切られる。

ここからはちょっとネタバレ気味になるが、個人的にこういった物語構造というか、「信頼できない語り手」系の映画は嫌いじゃない。というか好きかもしれない。
だからむしろ成人したパイの部分にこそこの作品のエグみ、のようなものがあるような気がしますね。
鑑賞前に感じていた「ちょっと現実離れした映像美」は、それはその通りではあったが、しかしそれは正しい表現だった、という事でしょうか。
「ああ、これアレでしょ?パイはつまり○○しちゃってて、これ××なんでしょ?」というシャマラン的展開の予想は冒頭いきなり裏切られることになるが、それだけに終盤の展開にはちょっと揺さぶられた。

特に流れ着いた謎の島。
最初ミーアキャットが大量に出てきた時は、まるで無数の虫がいるように見えて非常に気持ち悪いくらいだったが、後に島のシルエットが女性のように見えることによって、ミーアキャットというか島全体(にたどり着いたパイ)が何かの隠喩あるいは徴であることは判る。判るが正直、はっきりとしたところまでは判っていない。
最後の少年パイが、保険の調査員に語った「告白」によって色々と想像はできるが、明確な答えは出されていない。
このパイの告白は、あらゆる意味でエグみを持っていて、しかしそれですらはっきりとした真実を語っているという保証は全くない。むしろまだ隠されている部分があるのではないか、という気すらしてくる。
このあたり原作ではどうなっているのかな。

宗教的素養や知識がないので、あまりこの辺りについては語る術がなく、「判らないけど、何かこうクルね」という頭の悪い感想しかでてこないのが残念ではある。
ただこの作品で描かれた虎との漂流、その過酷さは美しさに彩られている訳だけど、そのストーリーと実際に彼が体験した(であろう)別な現実世界の過酷さを思うとそれもまたやむなし。と思うわけです。
「二つの話のどっちが好みだ?」
というパイの問いかけは、なかなか凄い。

という事でジェラール・ドパルデューはどっちかというとオラン・ウータンだよな、と思いつつ劇場を後にするのでした。



そうそう。
帰りになぜかマグロの刺身が無性に食べたくなりました。リチャード・パーカーが食べてたエサが旨そうでね。

*1:あの3Dメガネくれないんですね。欲しかった。

*2:マイケル・ジョーダンドキュメンタリー映画