春のウィリス祭り(2) 痛い思いをしてるのは。『ムーンライズ・キングダム』

ジョン・マクレーンを観た翌日に向かったのは日比谷シャンテ
ここで映画を観た後にガード下で呑むのがデフォとなっています。

と言う事で
ムーンライズ・キングダム

W・アンダーソンは『天才マックスの世界』を観て*1名前を覚えておこうと思った監督。『ロイヤル・テネンバウス』も良かったし、お気に入りリストに入ったはずだったがその後の作品は未見だったりする。

さて。
サムとスージーの行動は小さな恋のメロディ的な微笑ましいものではない。時にドライに時にウェットに描かれる。全体的に心地よい距離感が保たれていた。
特に二人の出会いのシークエンスは素晴らしく、これがまた劇中劇の場面であったことは偶然であるかどうか。

基本的に無表情で不機嫌なスージーは、しかし感情の微妙な機微が伝わってくるようで、いや良かったですよ。
サムと合流したあとの、楽しんでいるんだか何だかわからない感じと、夜本を読んでいる姿、そして耳たぶを貫通したカナブンのピアスの持つ痛み。

たわいのない逃避行に見えながら、しかしあの入り江で過ごした時間がどれほど貴重なものであったのかは、ラストではっきりと表現されている。
いやこのラストは素晴らしかったですね。ググっと来ました。

こういった「才能ある映画作家の作品に贅沢なキャストが集合」系のタイプだと、時にその豪華な顔ぶれが単なる賑やかしに終わる、ということもある。
鑑賞前はそんな不安も抱えていたが、それは全くの杞憂であって。
ビル・マーレイ御大はもちろん、ノートン先生フランシス・マクドーマンド*2もティルダ・ウィンストンも、そしてまさかのハーベイ・カイテルも、こういったキャストのバランスが絶妙であったのかもしれない。
そしてブルース・ウィリス。いや、よっぽどこちらの方がダイ・ハード的な活躍だった気すらしてしまう。
上手く説明できないけど彼の受難をさらりと受け止める(受け流す)ような独特の表情が良い。
終盤の彼の「活躍」。教会での顛末は、まさにコミカルな演出でありながら妙に琴線に触れる何かがあった。
ドキドキ感とその後に訪れるカタルシス
ドリフみたいな展開なのに泣けてしまうという不思議。

ラストカットに浸っている余韻と共に流れるエンドクレジット。
この演出も、妙に盛り上がる作りになっていて良い終わり方だったと思う。あれ、カッコいいよね。

そういえば、スージーが連れてきた猫ちゃん、どうなった?

*1:地獄の黙示録のパロっぽい劇中劇が素晴らしい!

*2:この人のカタカナ表記いつも分からなくなる