8秒間に救済を求めて。『ダラス・バイヤーズクラブ』

それにしてもケイト・ブランシェットはあと3〜4つくらいオスカー像持っていきそうだ。
それはともかくマシュー・マコノヒージャレッド・レトのオスカー受賞は喜ばしい。

という事で

ダラス・バイヤーズクラブ

ファイト・クラブ』でのジャレッド・レトフィンチャー作品における金髪の女神の系譜にあるというのが個人的見解であるが、『レクイエム・フォー・ドリーム』以降のキャリヤについてはフォローしていない。『チャプター27』も結局見逃したままここまできた。
久しぶりに観たレト君は、ここでもヒロインとして素晴らしい存在感だったと思う。

ずっしりと重いテーマを重いままのリズムで終始させるタイプかと思いきや、意外とユーモアが散りばめられていて、もちろん厳しい現実がそこにある訳だけど、少なからず軽やかなステップすら感じる映画だった。そしてそれは良い方向に作用していたと思う。空港や国境を切り抜けるために牧師や医師に変装してのやりとりは、素直に楽しい場面だし、またマーク・ボランの写真をめぐる一コマには思わず声を出して笑ったりした。
激やせのマコノヒーの凄みは確かに鬼気迫るものであるが、彼であると見分けがつかないような相貌の中にも瞳と特徴的な鼻の存在感に妙に感心したりする。

ロンの行動は捨て身の慈善事業として描かれてはいない。彼は決して善行を行いたいわけではなくて、いやもちろんそこに正義はあるけれども、どちらかというと生き抜くためにバイヤーズクラブを成立させようとしている。
「会費は400ドルだ」と50ドルしか持ってこなかった哀れな若者はあっさりと門前払いにするし、事務所開設のために空き家を提供してくれた相手に対して家賃を値切ろうとしたりする。抜け目なく。だからこそ彼の行動は切実で、それはビジネスとしての成功とともに生き延びるための唯一の手段だからでもある。クラブを始めてからのロンは、確かに健康体からはほど遠いが、しかしその瞳は死んではいない。
ゲイを忌み嫌うカウボーイという役柄は、マコノヒーのパブリックイメージと重なるようで、だからこそロンとレイヨンの関係に感情がざわつくのかもしれない。
打算から始まったロンとレイヨンの関係は恋愛関係ではなく、友情でもなく、ビジネスパートナーでもなく、また同時のそのどれでもあるというものだ。おそらくロンはゲイを最後まで容認してはいないだろう。ただレイヨンの尊厳だけは大事にしたいという気持ちは芽生えているようだ。それは死に直面したからかもしれないし、単なる親心のような感情かもしれない。
そういった一定の距離感を保ちながらも静かに流れる感情の交差は美しい。

電気が切れていることに気づいて、そこに歩み始める瞬間のざわつきもまた貴重な時間で忘れがたい。
電気技師の矜持を感じる場面かと思いきや、思わぬ啓示のようなシーンだった。
ラストの泥臭くも美しい場面とともにとても印象的だった。