冥府魔道、修羅の道。『モールス』

最近は映画雑誌も読まなくなっていて、情報はネットから得る事が多い。Twitterで知らなかった映画の存在を教えられて、思わぬ拾い物をするケースも少なくない。いやはや、便利な世の中になった。
それだけに気をつけないと、必要のない情報まで収集してしまう事になって、実はこの映画に関しても思わぬところでネタバレを目にしてしまった。

『モールス』


しかし、それは(大局から見れば)小さな情報で、もちろん知らないに越した事はなかったが鑑賞の妨げにはならなかった。それを説明すると、それ自体がネタバレになるんだけどね。
という事で今回はネタバレ上等で行きたいと思います。そうしないと書きようがない。
ちなみにオリジナルの『ぼくのエリ』は未見。なのでオリジナルとリメイクの比較は出来ない。


この作品。「ナイーブな少年とバンパイア少女の切ない純愛」という要素が前面に出ている。それは確かにその通りで、実際アビーとオーウェンのやり取りひとつひとつに心動かされる。
しかし、その一方でかなりエグい話にもなっているというのがなかなか上手い作りだと思う。


アビーとオーウェン接触は12歳の少年少女の触れ合いであるとともに、アビーが本能的に「次のパートナー」を獲得する為の言わばスカウティングという側面もあって、アビーがそうせざるを得ないという状況が切なさを増す要素として活きる。
終盤、アビーがオーウェンの部屋を訪れ「部屋に入れて(Let me in)」という場面。2人の絆が確かなものになるという非常に良い場面だが、あそこはアビーが死を賭してオーウェンの愛=パートナーとしての適性をテストしている場面でもある。
もちろん、だからと言ってアビーの行動が計算ずくで打算的だとは思わない。オーウェンに対しても、そして「父親」に対しても、そこに愛はあると思う。
だからこそ切ない。
さっきオーウェンの部屋に入るシーンを「テスト」と言ったが、仮にオーウェンがあのまま黙っていて自分が死んでしまっても、アビーにはその覚悟はあっただろう。ただオーウェンがそうしない事も同時に判ってしまっている。覚悟と確信の間で蠢く感情は如何なるものか。

ラストで旅に出るふたり。決してハッピーエンドではない。オーウェンが選んだ(選ばされた)アビーとの道行は修羅の道だ。オーウェンもやがて「父親」になり、老いてアビーとの別れが訪れる。確実に。そしてアビーはまたパートナーを見つけなければならない。
アビーとオーウェンの物語は、この先「アビーと誰か」という形でエンドレスに続く。続けざるをえない。
アビーは誰かの部屋の扉の前で、また言うだろう。「Let me in」と。
もしかしたら誰かが自分を死なせてくれるのを待ってるのかもしれない。でもアビーが選ぶ相手はきっとそうはしない。そういう相手を選んでしまっているから。死ねない。生きるという本能。そこで生まれる純愛という悲劇。


マット・リーヴスの演出は予想外にオーソドックス。『裏窓』『サイコ』へのオマージュなど遊びもありながら、全体的に落ち着いた感じで好印象。
クローバーフィールド』同様、「隠す」演出も効果的だった。
ちょっと気になったのは、アビーがバンパイア化して人を襲ったり飛び跳ねたりする時のCG処理。ちょっとカクカクしてて残念だった。

クロエ・グレース・モレッツの魅力は言うまでもないが、オーウェン役のコディ君が良かったね。「もしかしてホントに女の子なんじゃないか?」と思わせる中性的佇まいがこの作品にハマっていた。
リチャード・ジェンキンスもゴミ袋マスクから光る目が怖くて凄みがあった。と同時にレッツ・ダンスをウォークマンで聴きながら、かつてアビーと撮った写真を眺めてる(というのは後で明かされるんだけど)シーンに見られる哀愁感。良かったなあ。
舞台が80年代だったのは、単に携帯電話とかない時代としての設定なのか、マット・リーヴスの少年時代だからか。
あ、そうだ。
鑑賞前に見てしまったネタバレは、『ぼくのエリ』にあって『モールス』にはない部分についてだったようだ。アビーの性についての話。今回はそこについて明確には言及されてないので、関係ないと言えば関係なかった。まあ、『ぼくのエリ』を観る際の驚きはなくなるが。


それにしても最後のトランク越しのモールス信号、何て言ってたか気になる。