ポップコーン禁止映画。 『ツリー・オブ・ライフ』

子供の時、夕食の席でいきなり兄に熱々のご飯を頭に乗っけられたことがある。
まったく理由は判らない。
とそんな事をふと思い出したりして。
という事で
ツリー・オブ・ライフ

序盤のナショナルジオグラフィックあるいはディスカバリーチャンネルのようなイメージの連続は確かに長い。これで2時間続いたら流石に寝てしまったかもしれん。
特に恐竜が出てきた時は「どこに連れて行かれるんだろう…」と不安になったのも事実だ。
ただこの恐竜CGの場面でさえ何とも言えない叙情性を感じさせるのは、流石というところか。
グっと引き込まれたのは、やはりジャック誕生から。とにかくモルダウが素晴らしい。学校で聴いていたこのクラシックがこれほど心揺さぶる曲だったとはね。
序盤の「苦行」もこの為だった、と思えるほどの効果があったと思う。
それにしてもジャック赤ちゃん、この子が凄い。弟が産まれた時の表情なんて、あれどうやって引きだしたんだ?


ジャック視点になってからも説明的な表現は少なく、その人物描写は素晴らしい。ピリピリとした空気やジャックのマグマのような感情、ビシビシきました。
少年ジャックの佇まいとあの目、あれだけで語らせるのはなかなか出来る事じゃないと思う。
セリフでなく表情や画で判らせるというのがかなり極端に行われていて、そういう意味では観客の想像に委ねる表現ではあるけど、まあそこは割と判り易くしてあったんじゃなかろうか。
マリックと言えば「映像美」って感じで語られて、たしかにどのショットを切り取っても「画になる」というのは、まあ正しい。ただ「綺麗な絵を撮りました」ってだけになってはいない。
確かにその人物像は割と単純で類型的かもしれないが、きちんとこちらの琴線に触れる出来になっている。
ジャックの父、母、弟に対する感情(コンプレックス)や「性の目覚め」的表現、町の「疎外/阻害されている人」への視線…などなど。宗教的寓意については判らないが、それぞれの「何ともしようがないこの感情」というのはしっかりと共感できる。


ブラット・ピットは最近良く見る下顎を突きだした演技。(少年ジャックもちょっとシャクレ気味なんだよね)
家庭では厳格な昭和の父親だが、社会ではそれほど高い地位にいるわけではない小物感が伝わって来た。
レストランでウェイトレスにちょっかいを出す場面。あれ、子供としてはイヤだよねえ。
母親役のジェシカ・チャスティン。初めて観たけど良いですね。最初ロン・ハワードの娘かと思った。
森で妖精みたいにフワフワしてる場面も美しい。
ジャックを始め三人の子供たちも存在感あって良かった。
ジャックと次男(名前出てきたっけ?)のやりとりは見応えあり。三男の空気っぷりも末っ子的描写という事で好意的に解釈したい。
聞くとこによると元々8時間の作品だったとかないとか。いくらなんでも8時間ナショジオ状態だと厳しいが、それでも少年ジャックはもう少し観ていたい、そう感じた。

それにしてこの映画でポップコーンをボリボリ食うってのはどういう事だろうか。
風の音、そして風で揺れる枝と葉っぱ、揺れるカーテン、川のせせらぎ…そこに流れるポップコーンの匂い。
台無しです。

でまあ、ネタバレっていうか自分なりの陳腐な解釈で申し訳ないけど、これって





ジャックの死ぬ間際の走馬灯なんだよね?
ショーン・ペンの場面、ピッピッって心電図の音みたいなの聴こえた気がするし。