オワコンとかつまんない事言っても仕方が無い。こっちは鳴り止まないんだよっ!

神聖かまってちゃん
ニコ生配信、自傷行為、ステージでの奇行…。こういうキーワードから、どうしても「あー、はいはい」的な態度を取ってしまう。
ステージ上でのメンバー同士の喧嘩といったハプニングにも、それを煽るような観客にも嫌悪感を感じる。何が「の子は悪くないっ!」だよ。気持ち悪い。


しかし、どうだ。
ふとしたきっかけで聴いた(観た)神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まないっ」
その時の揺さぶられようは。

本当、ソーファッキンだし腹立つんだけど、いや良いよ。キタね。キタ。


「今さら、かまってちゃん?もうオワコンでしょ?」という人を信用したくない。音楽にせよ映画にせよ小説にせよ、それらを「コンテンツ」としてしか捉えられないのは寂しい話だよ。あまりにも代理店的過ぎやしないか。
いや、単純に好き嫌いはある。当たり前だ。それは良い。しかし「◯◯はもうオワコン」という言い方は、好悪とか趣味の違いじゃなくて「それ、もうヒップじゃないぜ」って事だろう?「いや、そのコーディネートは、今ナシだって!」そういう事だろう?
音楽を聴くって、映画を観るって、小説を読むってそういう事だろうか。ビートルズをクラッシュをゴダールをコッポラをディックを「オワコン」扱いするのか?


いや、神聖かまってちゃんがこういうマスターピースの列に並ぶと言いたい訳ではない。それこそ来年には彼らの名前を目にする事はないのかもしれない。或いはどうしよもないクソみたいな作品しか作らないかもしれない。
しかし、それを理由に「もうオワコン」というのは的が外れている。そういう人はハナから何も感じてないって事じゃないか。
少なくとも、その時その一瞬に何かを感じたなら(或いは感じない、ピンとこないというならば)「オワコン」なんて発想は出ないハズじゃないだろうか。
一瞬でも「鳴り止まない」音を感じた(感じなかった)なら。


not Style,but Attitude


十年後、十代の少年/少女が神聖かまってちゃんのCDを手にした時、「止めとけ、今更聴いてもつまらないよ」と言う大人にはなりたくない。
いや、もう十分大人だけど。


以上、越乃寒梅を呑み過ぎて酔っ払った勢いでの戯言でした。