ミシェル・ロドリゲスが足りない。『世界侵略:ロサンゼルス決戦』

アメリカ映画だと窮地に陥っている登場人物が軽口を叩く場面がよくある。
「まったく次から次へと敵が現れやがる!こんな大勢で何処行こうってんだ!」
グレイトフル・デッドのライヴにでも行くんだろ」
「そうか。じゃあ、チケットは無駄になるな!」
みたいなね。
と言う事で
世界侵略:ロサンゼルス決戦

基本的にはこの手の映画は好きなハズだ。
多少の粗があっても、それでも「何か好き」な部分があったりして愛着がわく。
しかしこの作品にはそういった「粗いけど愛しい」成分が足りない気がする。
確かに銃撃戦には迫力があるし、アーロン・エッカートも思いのほか兵士役が似合っていたりして2時間飽きない作りにはなっている。既視感のある王道的展開も悪くはない。
しかし、何かこうグっとくるものがないのは何故か。
「この監督、なかなかやるじゃないか」と思わせるサムシングがないというか…。


揺れるカメラやぎこちなく移動するフォーカスやズームといった手法も、少し鼻につく。
「今回はモキュメンタリー手法を取り入れてみたんだ。戦場のリアリティを出すためにね(キリッ」みたいな感じがしてしまう。しかしそれはむしろ逆効果だった気がした。
カメラの存在がかえって気になってしまって、むしろノイズとなっているんじゃなかろうか。少し白けてしまって入り込めない。
脇役のキャラクターの造形が今ひとつ中途半端なのも良くない。
それぞれそれなりにキャラ付けはされているんだけど、感情移入するには情報が足りなくて、「○○がやられた!」ってなっても「えーっと。誰だっけ」っていうのが正直なところ。
(以下ネタバレ含む)
例えば結婚を控えている眼鏡君。
「オレ、この戦争が終わったら結婚するんだ」という王道フラグがあるのに結局彼は死なない。
かと言って婚約者が死んだという描写も特にない。
死んで哀しかったのはフレディ・マーキュリー(役名忘れた。髭のちょっとホモっぽいお兄ちゃん)くらいかな。


そして何よりこの映画の最大の問題点はミシェル・ロドリゲスの無駄使いだ。
見せ場が無さすぎる。
兵士役で彼女が出てくるとなれば、それは期待をせざるをえない。
てっきりアーロン・エッカートの片腕的存在で他の兵士たちからも「姐さん」的扱いを受けている役柄かと思っていたのに、そういうわけでもなく。
「窮地に陥った部隊の危機を神風アタック的な行動を取って散っていくんだろう。そんで他の兵士達が奮い立つんだろう。泣かせてもらうよ」というこちらの期待も最後まで果たされないまま。なんとなく最後まで生き残っているし。
いや生き残っているのはいいんだけど、戦闘においても特に目立った活躍をする訳ではなく、あくまでone of themって感じなのがねえ…。
ミシェル・ロドリゲスを使った意味がないだろう!!
最大の欠点だと思う。
ロドリゲス姐さんの見せ場がもっとあれば、かなり印象は違ったのに。残念でならない。


あと気になったのは終盤の戦闘シーンでのアーロン・エッカート
敵の司令艦(?)を倒した(かと思われた場面)での彼は少しはしゃぎすぎじゃないだろうか。
他の兵士達が「やった!倒したぞ!」って喜んでいる中「いや。油断するな。まだだ」って感じで冷静に対処して欲しかったのに一緒になって「やったーーーー」ってガッツポーズしちゃってる。
ミサイル誘導の為のレーザーを敵に当てているってのも少し間抜けに見えたな。


とまあ、文句ばっかり言ってきたが、それでも2時間近くの時間を飽きることなく過ごせたのも事実。
廃墟と化したロサンゼルスの街での銃撃戦は迫力があるし、アーロン・エッカートも良かった。案外、漢くさい役似合うのね。
反発している兵士をグっと引きよせる漢っぷり/信頼できる上官っぷりを発揮する場面はベタだけど泣ける。
ラストの「野郎ども行くぜ!」的展開も決してキライではない。
でもどうせマッチョでベタな軍隊モノだったらマイケル・ベイの方が割り切って楽しめる気がする。


とにかく。
ミシェル・ロドリゲスをきちんと使ってくれ。言いたいのはそれだけです。