子育てって難しい。『猿の惑星:創世記』

ジェームズ・フランコは良い役者になったと思う。
もちろん『スパイダーマン』シリーズでもイケメン振りは発揮していたけど、ここ最近はとても味のある顔になってきた。
『127時間』から思っていたけど、ちょっとビリー・クリスタル化していきているよね、顔が。


という事で
猿の惑星:創世記

オリジナルの『猿の惑星』は昔よくテレビでやっていたので何度も観ている。『続・猿の惑星』までは観た記憶があるが、その後のシリーズは多分未見あるいは忘れている。何か地球にやってきて、てんやわんやするんだよね、確か。
今回の新作はエピソード0的な位置づけで、ずばりタイトルにも創世記とついている。(原題は Rise of the Planet of the Apes)
前史的な役割としても独立した作品としても出来はとても良いんじゃないだろうか。
旧シリーズとの整合性はそれほど厳密には考えられていないだろうけど、ある一場面には旧シリーズを連想される描写がさりげなくされていて、「流れ」を感じさせる使い方をされている。
それ以外にもフランクリンという名前は当然のようにフランクリン・J・シャフナー(第一作の監督)を連想させるし、コーネリアはコーネリアスの事だろう。シーザー君がさりげなく自由の女神の模型みたいなやつで遊んでいるなど、ちょっとしたくすぐりも好印象。


前半の軸となっていたシーザーとウィルとその父親を巡る親子関係ドラマは素直に心動かされるし、後半のシーザー軍団蜂起の展開は燃える。
シーザーが捕らえられている監獄(とあえて言うけど)の所長や飼育員/看守の悪役っぷりにもブレがなくて良かった。ブライアン・コックスが貫禄たっぷりだったのは当然としても、トム・フェルトンハリー・ポッター全然観た事ないので知らなかったけど良い悪役俳優になれそうだねえ。

観終わった後、ラストについて不満を言っている人を見かけたけど、いやあれはあれで良いんですよ。これはシーザーの物語なんだから。あの違和感はわざとだと思うけどね。


しかし何と言ってもこの映画の肝はシーザーの「演技」だろう。
終始シーザーが見せる切ない目、あれが良いんだよね。絶望と諦観が混じったような、あの目。
CGとモーションキャプチャーである事は判っているけど、それを忘れさせてくれるくらい、とても血の通った表現だったと思う。特に目の表情が素晴らしく、自然とシーザー君(と仲間のapes)に感情移入できる仕組みになっていた。
後半にシーザーとその仲間たちが決め顔をしているところは笑っちゃうくらいカッコいい。

主役としての風格たっぷりシーザー君。

以下ネタバレ含む。
ってところでネタバレの時効ってあるんだろうか。この映画の場合、この作品そのものが旧シリーズのネタバレになっているという変な構造だし。
と言う事で旧シリーズ未見の人は第一作だけでも観ておくことを強く勧めます。


我々は猿が地球を征服する事を知っている。そしてそれがシーザーを発端に起こる事態だろうことは判っている。
その上でこの作品を観た時、「さてシーザー君は如何にして人間に反抗するようになったか」がポイントになる。
その辺は割と単純に構成されていたと思う。
半ば人間のように育てられながら、身体は毛むくじゃらだし言葉もしゃべれない。一方で野生の本能はやはりあって森の中で木に登っていると高揚する自分もいる。「アイデンティティの芽生え」ってやつ。更には世間の冷たい視線。
森の中でウィルとキャロライン(フリーダ・ピントーが美しい)がイチャイチャしている所を凄い目で見ていたりするし、「どうせ僕はペットなんだろ!」なんて反抗もする。
言ってみれば十代の悩みみたいなもんで、「大人(人間)は判ってくれない!」って感じで。
やがてリーダーとしての自覚(というか戦略的にリーダーになってるわけだけど)を持って成長するとともに、自分の居場所を見つける、っていうね。
で、ある種そんなベタな展開も陳腐さはなくて、素直にシーザーに感情移入できる仕組みになっていた。
だからラストのちょっと違和感の感じる一見爽やかなシーンもあれで良いんだと思う。
そう思えるのは前述の通り、シーザー(つまりはアンディー・サーキス)の目の演技に依るところが大きい。
前半でシーザーの目にやられ、心掴まれているかいないかが、この映画を楽しむポイントかもしれない。


終盤の乱闘シーンでも、もちろんシーザー達に感情移入している。
バスを横転させて押して行くシーンもアツいし、何しろゴリラの献身的な働き。
元々シーザーが監獄でリーダーとして認められたのもゴリラ君のサポートあってこそだし、何しろシーザーを庇って撃たれる場面。セリフこそないが「シーザー!危ない!!」「ゴリラ――――!(役名忘れた)」って場面で、これもベタなんだけど素直に良いシーンと言える。

脱走してワラワラと街を猿の軍団が進む様も盛り上がってくる。屋上でズラリと並んで槍攻撃をする場面は、「いよいよ地球も猿の惑星になってしまうぞ。やばいなあ」って思いながら妙なワクワク感がある。並木道を葉っぱが落ちてく描写も結構好きだ。

気になる所(もう少し不穏なSF的空気感が欲しかっったなあ、とか。オランウータンが芸として手話が出来るのはともかく、会話も出来るほど知能があるのか?とか。ラストのウィルのあっさりとした引き際とか)が、ないわけではないが、とにかくCGである事をそれほど意識させない作りは立派だし、100分にまとめているのも好印象。

これシリーズ化するのかな。
個人的にはこれで終わりでも良い(一応ウィルス蔓延で人類はオワコンです、ってオチもあったし)気がするし、続編でシーザー君の活躍を観てみたい気もする。


結論:ウィルの無計画な教育方針が人類の破滅を生んだ。


メモ

  • ロケット発射のシーン。あれ第一作のロケットなんだよね。テイラーがテレビに映ってたし。
  • もう一人の看守が少し人が良さげだったのも良いね。脱走の時、シーザーも少し気を使ってるように見えたし。「悪いな。お前それほど悪い奴じゃないけど、ちょっと檻に入ってくれや」みたいな感じで。
  • それにしてもシーザーが「NO!」と叫ぶシーン。久々に映画館で声出しそうになった。あのシーンは映画館中の空気が一体になった気がする。みんな心の中で「おお…!喋った!」って思ったはず。