「オレは誰だ…オレの名を言ってみろ…」 『ミッション:8ミニッツ』

デヴィッド・ボウイの息子というのはどういう人生だろうか。年齢的には自分がデヴィッド・ボウイの息子でも不思議ではない。
しかし仮に自分がデヴィッド・ボウイの息子ならば、当然それは今の自分では無い訳で。ではオレはどこへ行ってしまったんだろうか。
どこにも行っていない。ここにいる。オレはデヴィッド・ボウイの息子ではない。当たり前だ。
と言う事で
『ミッション:8ミニッツ』


月に囚われた男』とは思わぬ拾いモノ的出会いをした。それほど期待せずに観に行ったのに、とても良くて去年のマイベストのひとつにまでなった。クリント・マンセルのサントラ共々、すごく気に入っている作品。
そのダンカン・ジョーンズの長編2作目となった本作は、やはり期待に違わぬ良い出来だった。
それにしてもネタバレをせずに語るのがなかなか難しい作品で、とりあえず当たり障りのない話からしようと思う。


同じ時間を何度も繰り返すという設定でいえば、例えばビル・マーレイの『恋はデ・ジャヴ』なんてものがあった。あまり細かいところは覚えていないんだけど、同じシチュエーションを繰り返す中でビル・マーレイが学習して「ここでこうなるんだろ。知ってるんだオレは」って感じで危機を回避したり(あるいは別の危機が生じたり)する様がとても良いギャグとして成立していた記憶がある。
今作でもスティーヴンス(ジェイク・ギレンホール)は同じ時間を繰り返す中で、「はいはい、ここでコーヒーこぼすんでしょ」「はい乗車券ね」って感じで回を重ねるごとに”慣れた”行動をしていく。
その見せ方ひとつみてもダンカン・ジョーンズの見せ方はスマートで心地よい。
そして、8分間という限られた時間の中で「爆弾犯」を見つけ出すというミッションを遂行するという軸のストーリーがあるわけだけど、そのストーリーそれ自体に引き込まれる作りになっているのは勿論だが、その一方で同時進行的・相似形のように別のストーリーを紡いでいく流れがある、というのがこの作品の魅力のひとつ。つまり…
ってこれが限界ですね。
以下はネタバレで。
8分間で列車爆破の犯人を見つけ出すと言うミッション。
通常であれば爆破犯人を見つける事で列車爆破自体を回避させる目的があるはずだ。
しかし、ここでは爆破は既に起こった事実として動かないという設定になっている。ここで求められているのは、その後に予告されているシカゴ爆破テロを防ぐ為のミッションであって、列車爆破は現時点では防ぎようのない事実だ。
だからスティーヴンスが爆弾犯を見つけても「今、目の前に居る乗客」の命を救う事はできない。
そのミッションの虚しさ。
をスティーヴンスと共に観客は共有する訳だけど。
その虚しさはスティーヴンスが、結局はいくら爆破に遭遇しても死ぬことのできない「安全圏」にいるから成り立つ事であって、やがてスティーヴンス自体が決して「こちら側=安全圏」にいる人間でない事が明かされる事によってこの映画はまた別の顔を見せる。
列車の中で「生きている」乗客がプログラム上のデータであるのと同様に、スティーヴンス自体もデータ化された命という状況。
「オレは生きているのか?死んでいるのか?」
そこからスティーヴンスが出した結論が、限られた時間=8分間を如何に輝かしいものにするか、という事ではなかったか。
それが第1段階のラスト(ストップモーションの所)までで描かれた世界だと思う。
残り8分間でも、その人生を意味のある(或いは何らかの輝きや喜びを持った)形で締めくくりたい。たとえ偽りでも。
それがスティーヴンスの「彼女(及び列車爆破の被害者)を救う」という事だったんだろう。
もちろん救済の対象には自分自身も含まれていて、執拗に求めていた父への電話をここで「実現」させるに至る。
この最初のラスト(というのも変な表現だけど)であるストップモーションのシーン。とてもエモーショナルで心動かされる一瞬だった。まさに輝かしい一瞬を切り取ったかのような。
更に、そのストップモーションを超えて新たに動き始めた世界。

これは作品中では「新たに創造された世界」というかパラレルワールド的に表現されている。列車爆破テロの起きなかった世界。スティーヴンスがまだミッションを行っていない世界。
ラストにグッドウィンに送られたメールから、それはその通りには違いない。
違いないが、個人的にはもしかしたらこの新しい世界は「死後の世界」とも言えるんではないかとも感じた。これは大いなる誤解だという自覚もありながら、そう感じている。
少しセンチメンタルな感じ方かもしれない。


ともかく。
爆弾犯を8分間で探しだすというサスペンスという面でも十分に楽しめる作品となっていながら、と同時に「限られた人生をどう締めくくるのか=生き方/死に様」をも問うという側面を持ったとても良く出来た作品だった。
ダンカン・ジョーンズへの信頼度が確かなモノになったね。


ふう。
とりとめのない話をする。


ヴェラ・ファーミガ良かったねえ。基本的には抑えた演技だったけど、ちょっとした表情で色んな感情を見せる。知性と大人の色気を感じる。

別に制服フェチという訳ではない。


あとカメラのアップ。
これ『月に囚われた男』でもあったけど、何かあれ好きなんだよね。『月に囚われた男』の時はHAL9000へのオマージュって感じだったけど、今回もただカメラをアップしているだけなのにそこに命が宿っているような不思議な感覚。

何か意思を持っているかのようなカメラくん。
ちなみに『月に囚われた男』のカメラ(と言うかコンピュータの「目」だけど)がこれ。

作家性というほど大げさなもんじゃないけど、なんか監督の「色」みたいなものが出るのが面白い。
考えてみれば色々共通点あるよね。
繰り返される時間、虚しいミッション、幻影あるいは作られた記憶、外界から隔離された空間、アイデンティティクライシス…。


あと画面のアナログっぽさも好きだ。
CG処理はもちろん沢山取り入れられているけど、どことなく最近のデジタルっぽい画質とは違うフィルムっぽさを感じる画質が良い。
ってまあこれは上映側の問題かもしれないけど。


ところでひとつ疑問。
教師のショーンさんの人生はどこへ行ってしまったのか。