負のスパイラルはある意味ホラー。『ウィンターズ・ボーン』

子供の頃、夏休みに親戚の家に遊びに行った時に迷子になった事がある。
見知らぬ田舎の町で迷っている時の「もうこのまま帰れないんじゃないだろうか」という不安はとてつもないもので、なんてことのない錆びついたバス停がもうすでに怖かった記憶がある。
と言う事で
ウィンターズ・ボーン


アメリカの田舎町の暗部が画面からにじみ出ている。静かに。しかし強く。
そんな映画だった。ジワジワと沁みるこの感情は「感動した」という言葉は当てはまらないだろう。感動ではない。では何かと言われると困るけど。


くすんだ風景は、まさに田舎町の閉鎖的な様を体現しているかのようで希望のかけらも感じさせない。
主人公のリー(ジェニファー・ローレンス)は度々田舎町の道を歩く。舗装された道ではない。砂利や木の枝が落ちているような殺風景な町の道を。彼女が踏みしめる砂利や木の枝の音が画面からはっきりと聞こえる。言ってみればこの砂利や木の枝を踏む音こそがこの映画のBGMであって、色素の少ない画面と共に暗澹たる空気を増幅させていた。
リーの家に限らずこの街の家はどこもダークな空気が支配している。
友人ゲイルの家庭はリーの家ほど寂れた感じはないが、旦那は明らかに堅気とは思えないし「旦那の親に監視されているのよ」というセリフからもとても一般的な幸せの新婚家庭とは思えない。
伯父ティアドロップ(ジョン・ホークス)はコカインをすすりながら身体全体からクリミナルでバイオレンスな匂いを発している。
サンプ・ミルトン一族を頂点としたこの街は犯罪と暴力と貧困が支配しているかのようだ。登場人物達の胡散臭さ、不気味さが画面から伝わってくる。
こういうアメリカの暗部は本当に怖い。『テキサス・チェーンソー・マサカー』のような不気味さがある。
ロープに干している洗濯物を映した画面。そこから発せられる負のオーラ!


リーを取り巻く状況はまさに「負のスパイラル状態」だ。
父親は保釈中で消息不明。母親はドラックの影響なのかどうか廃人状態になっている。幼い弟妹の世話をする様子は、けなげであるというよりは諦めからくる責任感のようにも感じる。定められた宿命のようなリーの人生。
リーが軍隊に志願したのは、もちろんお金の為というのが最大の理由ではあっただろう。しかし僅かながらもこの「負のスパイラル」状況から抜け出す手段としてかすかな期待を抱いていたはずだ。
しかしまさに彼女を取り巻く状況(親の不在とそこからくる家庭の機能不全、未成年であること、家を追い出されるかもしれないという事態)が彼女の脱出を阻む要因となっている。
軍の面接官が言う「今は家に戻って弟達の世話をするべきだ」という意見は至極真っ当なものであるだけに、リーの受けた失望は計り知れないものではなかったか。しかし彼女は少しはにかんだ笑顔でその場を後にすることしかできない。
いやはや、辛い。


ジェニファー・ローレンスの眼差しが素晴らしい。
諦めと暗さと強さ、そして母性(しかしそれはとても哀しい母性だ)を帯びた眼の演技が秀逸だった。
淡々とジャガイモを切ったり、リスを捌く様には得も言われぬ迫力を感じた。


ジョン・ホークスはまるで若いデニス・ホッパーのように見えた。
街の掟と家族への思いの間での苦悩を決して大げさにすることなく、一定の距離感を持っている男の感じが良い。ドライでありウェットであり。そしてやはり愚かでもある。
ラストでの「告白」から静かに去っていくティアドロップは果てしてどこに向かうのか。彼もまた「負のスパイラル」から抜けだせない人間のひとりだろう。


その他のキャスト達も皆、良かった。
ミルトンの妻(?)やその取り巻き達の胡散臭さ。ソニー、アシュリーといった子供達の愛くるしさと同時に負の連鎖から逃れられないであろう運命を感じさせるアウトロー性。特にアシュリーのリスの解剖を淡々と見つめている様は静かな感動を覚えた。
しかしシャリル・リーには驚いたね。エンドクレジット見るまで気がつかなかったよ。


終盤、街の掟の裏返しのような理由からリーの家は守られた。僅かばかりのお金も手に入った。
しかしそれはハッピーエンドだろうか。

とてもそうは思えない。彼女を(そしてこの街に支配している)負の連鎖は断ち切られてはいない。リーのくすんだ人生は大きな輝きが来る事もなく続くだろう。
強いて言うなら弟妹たち、特に妹のアシュリーにはかすかな希望を持ってもいいのかもしれない。
ラストで彼女がバンジョーをつま弾く姿にはそんな小さな小さな小さな光を感じた。