やはり深キョンの死顔は凄かった。『コンテイジョン』

例えばネットで情報を収集し行動の指針を求める。
それがあの日以降の我々の情報リテラシーのひとつになっている気がする。
能天気な楽観論も絶望しかない悲観論もいらない。「現実的な道標」が欲しい。

という事で
コンテイジョン


パンデミックものと言う事で、その構造は基本パターンに沿っている。
発端、発症、死とその広がり、原因不明のウィルスとそれに対応する専門機関の動き、果たしてワクチンは出来るのか…。周辺人物の愚かな行動で事態が悪化するというパターンも含めて、定番の形を採っていると思う。
そういった軸にやや社会派っぽい味付けがされているとうのがソダバーグというところだろうか。
ローレンス・フィッシュバーンを中心としたCDCと政府の動き、そして発端とされるグウィネス・パルトロウマット・デイモンの家族を巡るストーリーはドライとウエットのバランスを取りながら進む。
あえて体制側と表現するがCDCやWHOといった公的機関と香港の村人たちやアメリカの市井の人々という図式はあるにはあるが、それほど強い対比を強調して描いているわけではない。どちらかの善悪の判断はここではされない。それぞれにそれぞれの事情があり、その事情(あるいはポリシー)に沿って行動している、という印象を与える。
それは(まるで主人公特性のように)感染から逃れられているマット・デイモン演じる男についても同じ事で、彼とて決して無垢な善行をなすだけの人物ではない。彼はただ自分の娘を守りたいだけの普通の父親に過ぎない。
ボーイフレンドも無下に追い返すし、廃墟と化したスーパーで略奪も辞さないくらいだ。
以下ネタバレ込みで。



ジュード・ロウのフリー記者にしても一見は「体制側の裏を暴く」真実の男として活動しているようでもあるが、彼の中にあるのは正義感だろうか。
「政府は嘘をついている」「我々、庶民は騙されている」というアジテーションはとても心地いい(聞こえが良く分かりやすい)ものであるし、そこに人々の心が集まるというのは我々も経験している事だ。
まさにリテラシーが問われる状況でどう行動すれば良いのか、という訳なんだけど、ジュード・ロウは軽やかなステップで泳いでいる。極端に言えば彼にとってはこのウィルス感染という事態は自己表現のネタに過ぎないんじゃないか、思えなくもない。
ネット社会で情報(その正当性をそれほど重要視せず)を流し続ける事が彼の行動の規範になっているようにも感じる。そしてその是非についても明確な描写は避けられている。


確かにミアーズ(ケイト・ウィンスレット)やアリー(ジェニファー・イーリー)と言ったCDCの医師たちの献身的な働きは気高い。
気高いが故に、隣で寒がっている患者に上着を与えようとして息絶えたミアーズと自らを実験台にしながらワクチンを発見したアリーとの運命の差について考えてしまう。その運命の差はジェニファー・イーリーの終始引きつった笑顔のような表情に表れている、というのは多分気のせいだろうね。


チーヴァー博士が妻にこっそりとシカゴを脱出するように教えるという行為は、非常に下品な言葉使いをすれば「ズルイ」ものである。あるが、そこに必要以上の悪感情を抱いてはいない。むしろ「そりゃまあそうするだろうな」という気持ちに近い。
その一方でラストでジョン・ホークスの息子に自分のワクチンを与える行為は贖罪の現れのようだけど、あれだってジョン・ホークスに盗み聞きされていなければ果たしてどうしていただろうか。


マリオン・コティヤールが香港の村に戻っていったのもまたしかり。偽物のワクチンを渡して誘拐を解決する事には正当性がある。しかし彼女は村へ戻った。それは罪悪感なのかもしれないが、どちらかというと「あの村人たちをそのままにはしておけない」という感情からの衝動的行動ではないだろうか。そもそもあのまま村に戻っても本物のワクチンは手に入らない。


というように登場人物たちはそれぞれ職務の忠実な執行とか家族を守るという行動という規範はあるにせよ、善悪とか社会的正当性という事を超えた「それぞれの事情」で動いている、ような印象を持ったが如何だろうかね。

ふう。


キャストは宣伝通り達者な人が揃っていて、それぞれ役割に応じた働きをしていたと思う。
特にマット・デイモンは穏やかながら強い意思で娘を守るという父親が予想外にハマっていた。
ラストの娘へプロムパーティをプレゼントするところは、なかなかグっとくるものがあった。
グウィネスの泡ブクブクの発作顔も凄かったなあ。最近は余り女優としての活躍がなかったような気がするけど、なかなかやってくれてます。でも『リング2』の深キョンの死に顔の衝撃度は超えていない。
個人的なツボとしてはジュード・ロウの防護服姿での街中ウロウロのシーンを上げたい。
あそこは思わず笑ってしまった。
そう言えばクレジットにデイヴ役…ラリー・クラークってあった気がするけどあのラリー・クラーク?デイヴってケイト・ウィンスレットと一緒に働いてたやや巨漢の男だっけ。あんな男だったのか。同姓同名か?


あと時おりショットというか構図にキューブリックっぽさを感じたんだけど気のせいかな。
ややロング気味で人物を捉えて奥行と静かで不穏な空気を感じさせる感じ。ま、気のせいか。
クレジットが違うから判らなかったけど撮影もソダバーグなんだね。


あえて第2日(DAY2)から始めてラストに発端(DAY1)を持ってくるやり方はなかなか上手いと思ったけど、マット・デイモンのパートでちょっとしんみりしてたのでどうせならクレジットの後に持ってきても良かったのかな、という気もする。
と言う事で、キャストは豪華だしタイトにまとまってるし抑制の効いた音楽もなかなか良い。
ケイト・ウィンスレットがあっさりと死ぬ事で「これ誰が発症して死んでもおかしくないな」という緊張感を与えてくれる。
その緊張感を保ちながら退屈させず100分あまりというタイトな上映時間も好印象な佳作。
かな。