潜在的同性愛のような友情とそこからの巣立ち。『50/50』

子供の頃、写生大会で描いた絵を学校に戻ってから仕上げていると、担任の先生が「うん。ここにこうやって道を描いたらいいんじゃないか」と言って手を加えられた事がある。
それがすごく嫌だった。
いやアドバイスはありがたいんだけど実際に手を入れられた事が不快だった。
どうでもいい絵だったけど、「オレの絵のオリジナリティが!」なんて思ったんだね。

と言う事で
『50/50』

予告編通り。それが正直な印象。
いきなり病気になった青年を取り巻く話を決して重くならずに軽いタッチで描く。そのままだった。
とはいえツマラナイと言う訳ではない。
セス・ローゲンは軽口を叩きながら、それでも傍にいるという友人を程よいスタンスで演じていたし、アナ・ケンドリックも愛嬌があって可愛らしい。

実際に脚本家の実体験が元となっていて病気がモチーフとなっているものの決して「難病モノ」にはなっていない。
どちらかというと青年(たち)の成長物語になっているように感じた。


アダムは突然病気になった事を可能な限り前向きにとらえて生きて行こうとするが、それでもやはり出来た人間というわけではなくて。
特にハッとさせられたのはセラピストのキャサリンに言われた一言。
「(あなたの)お母さんは話の出来ない夫と家にいて、息子も話をしてくれないのね」(要訳)
アダムの父はアルツハイマーになっていて、母親は献身的に介護している様子なんだけど、良く考えたら家にはその二人だけなんだよね。でもって病気になった息子を心配して色々世話をやこうとするんだけど、息子の方は少し煙たがっている。
だけどね。
って感じでキャサリンの一言が出てくるわけですよ。
これ、ちょっとハッとさせられた。

セス・ローゲン演じる友人カイルも、まるで嫉妬しているかのようにアダムのガールフレンドを敵対視している。まるで同性愛的な関係のようだ。
そんな彼も、キャサリンについては認めているようで、ようやくアダムから巣立つかのように部屋を出て行く。


そのキャサリンもまたセラピスト見習いとしてこれから成長していく。だろう。多分。
アナ・ケンドリックの幼さと色気が同居した佇まいがよろしい。


やや損な役回りとなったレイチェルにしても、ヨリを戻そうとして帰って来たときの気持ちは決して嘘ではないだろう。
個展が失敗に終わった事で、彼女なりにアダムへの愛を再確認したのかもしれない。
あっさりと拒絶されたけど。
でも絵をズタズタにする事はないよな。絵に罪はない。なんてね。


ジョセフ・ゴードン=レヴィットは、またしても彼女に振られて最後にパートナーを見つけるという役どころ。
はにかんだような笑顔と細身の体はキャラクターにあっていた。
でも聞くところによると最初はジェームズ・マカヴォイが予定されていたらしいね。
それはそれで観てみたい。ちょっと趣が変わりそうな気がする。


とにかく。
死に直面した病気と軽いタッチの描写と親子関係などにみられるウェットさ、そして恋愛。
バランスの取れた作品でした。