居場所なんてなかった。 『アニマルキングダム』

子供の頃、近所にゲーム機を置いている喫茶店があって、特に風紀が悪いとか不良のたまり場という訳ではなかったと思うが、子供だけでは行ってはいけないという場所だった。
それでも子供にも付き合いというのはあるもので。友達に誘われて1回だけ行ったことがある。
インベーダーゲームをやっている友達の側で「早く家に帰ってSF小説読んだり、ミクロマンで遊んだりしたい」と考えながら所在なげに立っていたあの時の感覚。罪悪感と「ああ…このまま堕ちていってしまったらどうしよう」という妙な不安感。


という事で
アニマルキングダム


冒頭のシーンで「あ。この映画は良いぞ」と思わせてくれる。
そこから終盤まで不穏な空気と、いつ何が暴発するかわからないテンションが続き、観終わった後に何かがズシリと残る。
巧みな省略による描き方も効果的だったし、キャストもGOOD。
特に主人公ジョシュアを演じたジェームズ・フレッシュヴィルとポープ役のベン・メンデルソーンが素晴らしい。
ジョシュアの表情に乏しく死んだような目は、時に冷静な視線となって周囲の世界を見つめている。それは我々観客の視線とも同化し、その事で彼の抜き差しならない「寄る辺なさ」が心に染みてくる。
ちょっと気が早いけど今年のベストテンの枠が一つ埋まったって感じ。
(以下ネタバレ含む)



冒頭で眠るように死んでいる母親の側でクイズ番組を見ているジョシュア。救急隊員が処置をしている間も、時々テレビの方へ視線をやる。片手に嵌めたままのゴム手袋は、母親の口に手を突っ込んだんだものだろうか。
母親のオーバードーズという状況とそれとは関係なく続くテレビ内での狂騒。何時間か前の世界と今とは地続きのはずだが何かが変容している感じ。
激しい感情を伴った台詞も感傷的な音楽も流れず淡々と進むこの冒頭シーンは、静かにではあるが確実に我々を映画の世界へ引き込む。
いやー、この冒頭シーン良かったね。ここだけで映画の出来が保証されていたというのは言い過ぎではないと思う。


終盤まで、不穏で緊張感のある状態を保ったままの2時間。
なかでもポープの危うさ。
猜疑心と不安感からくるバランスを欠いた精神状態で、コディ家の長男でありながら計画性や将来性を感じさせない頼りなさ。そして都合の悪いことは人のせいにしてしまうクズさ。その頼りなさとクズさ加減が絶妙で、つまりはコディ家の中でも最もモラルを欠いている人物とも言える。二コールをベッドへ運ぶ場面なんか「うわー。何かイヤな事が起こりそうだなあ」という緊張感で一杯。
このシーンにしてもポープの意図はハッキリとは示されていない。ジョシュアに見つかった時も、特にもっともらしい説明をするわけでもなく静かに去っていく。それが余計に緊張感を高める。
不穏な空気をまとっているのはコディ家に限らない。警察の人間も同様で「いつどこで暴走するかわからない」という状態。
モーテルでのレッキー(ガイ・ピアースも良かった!)の同僚ルイスが発する不穏なムード。あるいはジョシュアを裁判所へ護送する時の警官が取った行動など。
映画全体に暴走/暴発の火種がちりばめられている。そして時にそれは実際に暴走/暴発する。コディ家も警察も。
「まったく狂った世の中だな」


全体的に省略の仕方もスマートだったと思う。
説明的な台詞はほとんどなくて、それは不親切さというよりは表情や何かを写したショットによって観客に判らせる/感じさせるというスタイルで、とても効果的だった。
二コールの死を知るきっかけの場面もスピード感があって良い。「何故二コールを殺したんだああああ!」なんて台詞はない。
アクセサリーを見つけて携帯かけて事態に気づく。そして逃げる。二コール家のトイレで彼女のモノと思われる化粧品を見て感情を高ぶらせる。
感情の動きをいちいち説明する余計な台詞はない。
特に終盤のジョシュア証言のシーンを全く描かず、レッキーの「居場所を見つけたのか」の一言だけで状況を説明するやり方は巧みだった。


居場所。


ジョシュアはコディ家に有利な証言をして、戻ってきた。レッキー側の世界には行かなかった。
ではコディ家側の世界に戻ってきたのか?
ポープを射殺する事で二コールの復讐はなされたかもしれないが、そこにカタルシスはない。
射殺後ジョシュアは静かに祖母を抱き寄せる。しかし祖母の手はジョシュアの背中には回っていない。


あっち側もこっち側もない。居場所なんてなかった。