孤独ってる場合じゃないけど。 『人生はビギナーズ』

何年か前、実家で親のアルバムを見る事があって。
当然彼らにも二十代の時代があった訳で、それはもちろん当たり前の話。いきなり「父親」や「母親」になったわけではない。
就職したての頃の写真や友人たちと旅行に行ったりしている「青春」の1ページを見て、何とも言えない不思議な気持ちになったものです。


と言う事で
人生はビギナーズ



予告編やポスターなどからぼんやりと想像していたのは

恋に臆病な僕。30を過ぎてもなかなかパートナーが見つからない。
そんな時75歳の父親がゲイのカミングアウト!
癌で余命わずかとなった父親との感動的ふれあいと新しい恋の行方をほろ苦くも温かく描いたハートフルドラマ!

って感じで、まあメラニー・ロランが見れれば良いかな、なんて思っていたら
全然違ってた。

予想外に全体が孤独感、疎外感、空虚感で支配されていて、思わず内面を見つめ直すような作品だった。
心をえぐるような強さ/重さはないが、それでも「差し込まれる」ような感覚を覚える。染みてくる。
そんな映画だった。


登場人物の全てが何かしらの孤独感や疎外感を抱いているが、その理由や背景についてはそれほど深く説明はされない。
父親(クリストファー・プラマー)やその恋人アンディについては、比較的分かりやすいし、母親についてもその言動には不可思議な点はあるにせよ図り知れる。分かりにくいのはオリヴァ―(ユアン・マクレガー)とアナ(メラニー・ロラン)だ。
二人の他人との距離感、特にオリヴァ―の他者との関わり方には「80年代的空虚」を感じるが、しかしこうやって「80'S的空虚」という単語が上滑りするように、彼のアティテュードに批判的な意見があがるのも頷けるところがないわけではない。「何が空っぽのボク、だよ!甘えんな!」的なね。
アナについては更に、捉えどころがない。家庭環境についておぼろげに明かされるが、それが彼女の抱いている世界との距離の取り方の決定的な理由とは断定されない。
しかしその掴みどころのなさ・捉えどころのなさ、というのは、それ故に、こちらに染み入ってくる。気がする。
理由はよくわからない。


アナがオリヴァ―の部屋に行った時の感情の静かな起伏は、それが激しい表現を伴っていないだけに痛みを感じる。「何だか分からないけど、何かがしっくりこない」という状態は対処のしようがない。ただそこにある隔たり。
それを論理的に説明したり分析する術を持たないが、個人的には不満や反感を抱くよりも、心にじんわりと響いてきた。
共感という訳ではないと思う。共鳴した、というのが近いか。少し違うかな。


孤独感に支配された作品の中で、仄かに感じる光の部分は、やはり父親のパーツだろう。
死を前にして、ゲイカルチャーに飛び込み、人生を謳歌する姿勢は哀しくも輝かしくもある。
深夜息子に電話して「あのチャカポコチャカポコしてる音楽は何だ?ハウスミュージック?ハ・ウ・ス・ミュー・ジ・ック」とメモを取る姿には、打たれるものがある。
70を超え、死を直前にしてようやく「ビギナー」としてまっさらな人生に飛び込んでいる、といったところだろうか。
息子が暗い部屋に帰って、音楽を聴くでも酒を飲むでもなくマンジリとしているのとは対照的だった。
ちょっと自分の両親の事を考えたり、あるいは自分自身の人生の終末を考えたりしたのは、これは年代的要素が強いかもしれない。


メラニー・ロランは可愛らしかった。特に登場シーンの筆談が良い。何故だか分からないけど左利きに萌えてしまった。
オリヴァ―の部屋でソファで目覚めた時の、あの微妙な笑顔。笑っているけど、奥にある不安定な感じ。
ユアンは(頭の大きさも含めて)安定感がある。
クリストファー・プラマーもアンディ役の人も良かったけど、お母さん役の人。
名前分からないけど、不思議な魅力があった。
美術館での「奇行」や、少年オリヴァ―を撃つマネとか、何だか知らないけど好きだ。
そしてワンコ。芸達者というか、何と言うか。まあ素直に可愛い。


でも哀しいのはきっとアーサーの方が先に死んでしまうんだよね。


オリヴァ―とアナはその別離に耐えられるだろうか?
正直怪しい。