走り出す少年の光と影。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

1か月ほど前、ナイフで小指の先をざっくりと切ってしまった。
結局、何針か縫合する事になったのだけど、あれだけ痛々しかった傷も今では、ほとんど目立たなくなっている。
人間の回復力・治癒力って凄いな、と改めて実感する。
それでも傷の部分は時々痛みや違和感が残っていたりして。目に見える傷はなくなったが、痛みの記憶は消えない。

と言う事で
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い


まず。
ええ、泣きましたよ。というか終始泣いていたと言っても良い。
よく「泣けたわー」とか「涙腺崩壊した」なんて表現を使ったりするけど、今回はホントに泣いてた。
まさに目から汁が・・・状態。
生理機能として目に涙を溜めていました。
オスカー少年を演じたトーマス・ホーンマックス・フォン・シドーの演技/存在感は素晴らしく、ふたりの場面は泣きの連続だった。

と同時に。いわゆる「泣かせ」のフォーマットに乗ってしまっただけじゃないのかという疑問も抱きつつ、というのが正直なところ。
同時多発テロで父親を失った少年という要素。情緒不安定(劇中では「アスペルガー」という単語も使われる)なオスカーの無表情な瞳には心打たれる。でも「そりゃ、泣くだろう」っていう怒涛の攻撃には、やや「あざとさ」に感じる部分がないとは言えない。
特にトム・ハンクスサンドラ・ブロックは少しこの映画には合っていないような気がした。少しノイジーというか。
いや、トム・ハンクスの愛情溢れる父親像も、サンドラ・ブロックの傷つき戸惑う母親像も悪くなかった。というかここは流石と言っても良い。
良いんだけど…ちょっとね。少し「良い演技」っぽさが目に付くというか。とにかく少し(少しだけだけど)違和感を感じた部分。

(以下ネタバレを含みながら)


父の遺品から見つけた鍵に「遺言的メッセージ」を見出し、その謎を解き明かすという旅は、ニューヨークという限定された範囲でありながら立派なロードムービーとなっている。
様々な「ブラックさん」を訪ねて行くオスカーが目にするものは、彼にとっては冒険に近い。ブラックさん達は皆、何かしら抱えて生きている。まあ当たり前の話で、それぞれの人生がある。
最終的にたどり着いた鍵の結末は、オスカーには直接関係のない「他人の鍵」であったが、しかしその鍵の持ち主にとってそれは赦しの徴であり、父親との関係を繋ぎ直すモノになっていて。ひいてはオスカー自身も母親との関係を繋ぎ直すことになる。
まあ、言ってみれば「寂しいのはお前だけじゃない」という事でしょうか。

特に老人との道行では、オスカーの成長と同時に無表情な瞳に隠された内面を爆発させる。とにかくオスカーと祖父の場面は少し卑怯なくらい泣かせる。
さりげなく父親と同じ仕草をする事で祖父であると分からせる描写も良い。決して幸せな親子関係でなかったはずだが、遺伝と言う形で繋がっているという事実。あるいは祖父がタクシーで去る場面でオスカーが父親(つまりは祖父の息子)の人生を叫んで聞かせる場面。「あんたの息子はこんな男だったよ!」と教えているかのようで、あれズルイなあ。
マックス・フォン・シドーは当たり前だけど凄い。手のYESとNO、そして表情だけであれだけ存在感出せるんだもの。

ところで、トーマス・ホーン君。ちょっとジェイミー・ベルに雰囲気似ているよね。スティーブン・ダルトリーの趣味だろうか。
リトル・ダンサー』も泣かされた映画だ。(炭鉱での父親と兄との会話!)


歓喜に満ちた走りをするジェイミー・ベル(上)
不安定な感情を爆発させて逃げ出すように走りだすトーマス・ホーン(下)


オスカーが作った調査記録。そのタイトルが「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
オスカーの罪悪感/トラウマになっている父親が最後に残した留守電。
「ものすごくうるさくて、怖くて出る事ができなかった」その父親からのコールは、今では「ありえないほど近い」存在/近親者あるいは周囲の愛として認識できるようになった。という事かしら。
あるいは周りの人達はありえないほど近く自分を見守っていて、それはものすごくうるさいんだけど、やはりありがたい。という事か。
いずれにしてもオスカーは経験値を上げた。ブランコにも乗れるようになったし。