モンペアは世界共通。 『ぼくたちのムッシュ・ラザール』

広島へ行くと必ず寄るようにしている場所がいくつかあって、ここはそのひとつ。
サロンシネマ。

十代の頃、かなりお世話になった。


という事で
『ぼくたちのムッシュ・ラザール』

とりあえず時間が合うというだけの理由で観たんだけど、これがなかなかの佳作で。
ストーリーやテーマとしては違うんだけど、ちょっと『蝶の舌』を思い出したりもしました。先生との出会いと別れってだけだけど。
冬の冷たさが伝わる画面は、決して派手さはないけど丁寧な感触がある。
生徒たちもそれぞれキャラが立っているし、特にアリス役のソフィー・ネリッセちゃんが際立っている。ちょっとドリュー・バリモアに似た感じで。
死に関するテーマは、もちろんあちこちに影を落としてはいるが、それを大上段に構えるわけではない。控えめでありながらしっかりと描いている。
といったところだろうか。


急遽、先生として現れるラザールさんの授業は、特に「伝説の」とか「革命的な」という修飾が当てはまるものではない。
どちらかというと「普通の感覚」で授業が行われている。
円形の机の配置をスタンダードな配置に戻したり、おそらくは古い文法の教え方(この辺はフランス語について詳しくないので良くわからないけど)などは「進歩的」な校風の中では逆に新鮮ということだろうか。児童教育をめぐるナイーヴさは現代では世界共通なんだね。「生徒と触れ合ってはいけない」とかモンペア風な親の存在とか。*1

淡々と進められる授業は、もしかしたら亡き妻のやり方を踏襲しているのかしら。*2
謎めいているが、一見おだやかな常識人であるラザールが気がつけば学校に馴染んでいる。
正直「あれ?何か感動的な台詞言ったっけ?」という感じで、生徒たちの心を掴んだのか掴んでないのかわからないまま、気がつけばラザール先生がそこにいる。

徐々に明かされるラザールの背景は、一見おだやかな小学校が実は担任教師の自殺という闇を隠蔽している事と重なってくる。
温厚なラザールの優しい眼差しの奥にある闇。壁を塗り替えても消えない教室に染み付いた死の影。
そんなラザールの抱える影と子供たち(特にアリスとシモン)の抱える闇は、表立っては交錯しない。
シモンの告白はエモーショナルな瞬間となるが、ラザールはそれについて取ってつけたような台詞は吐かない。*3
ただ子供たちが「例の事」について語る場を与えることこそが自らの目的であるかのようにそこに佇む。
答えは出さない。

そういったエモーショナルな場面を経て訪れるラストは静かだけど美しいといえる。

具体的な別れの言葉はない。「先生行かないで!」といったシーンもない。
もしかしたらラザールの行った最後の授業からメッセージを受け取ったのはアリスだけなのしれない。
皆は何も気がつかずに帰っていってしまったのかもしれない。
だから教室で待ち構えるアリスの姿が琴線に触れる。聡明な子ですなあ!


無言で抱き合うふたりは、それぞれの闇を救うことが出来たのだろうか。

*1:でもあのいけ好かない優等生風の女の子、嫌いじゃないけどね

*2:妻の再生、なのかな。

*3:と実はシモンが「僕悪くないよね!」って泣きながら言ったときラザールが何て言ったか覚えていない。肩にやさしく手を置いたような気もするし、静かに見つめていただけのような気もする。「君は悪くない」くらいは言ったんだっけか?記憶が曖昧。