居心地の悪い世界に静かに灯る光。 『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』

と言う事で
プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』

ライアン・ゴズリング演じるルークは、最初こそ『ドライヴ』の“ドライヴァー”とのような佇まいで現れる。
バイクのスタントマンとして持て囃されているように見えながら、そこに華々しさはない。結局サインを求めているのも鼻をたらしているような子供たちだけだったりして、さらにバイクスーツを脱げば、テロテロでボロボロのTシャツ(しかも裏返し)というスタイル。
その天才的なテクニックは、彼に幸せをもたらしてはいない。
こういう生々しさは、確かに『ブルー・バレンタイン』と比べると身につまされ度の凶暴さは少ないかもしれないが、それでも十分「ああ…そうなってしまうのだなあ」と思わされる展開に、染みる。
強盗にしても、決してクールでスマートなものではなくどちらかというと泥臭い。特に最後の仕事のグダグダっぷり。そして、それがとてつもなく哀しい。

居心地の悪さ。
もまたこの作品の(あるいはデレク・シアンフランスの)特長でもある。
ルークを拒絶するロミーナの表情やエイヴリーを訪ねてきたデルーカ*1とその仲間たちが発する負のオーラ。そしてその後の食事シーンでのエイヴリーの妻の振る舞い…。その後の”家宅捜索”での空気。
こういった居心地の悪さの説得力の高さ。表情のちょっとした歪みや台詞の間で全てを表現する描き方は、やはり良く出来ている。
エイヴリーの成功(なのかあるいはダークサイドなのか)を迎えた時に、息子のAJが見せる虚ろな笑顔。and more…。
そういう居心地の悪さの連続の中で、ふとした瞬間に感じる光が与える静かなカタルシス
もちろんジェイソンが母親に送った写真もそうだし、個人的にはベッドに横たわるジェイソンの横顔にドキリとさせられた。決してハピネスな場面ではないんだけど、その生き写しの様が不思議な光を感じるとでもいうのか。良い一瞬だった。
ジェイソンを演じるデイン・デハーンは、ライアン・ゴズリングというよりはベニチオ・デル・トロ似の風貌をしていて、しかしそれはエヴァ・メンデスの息子としての説得力を持った顔立ちでもあって、しかしベッドに寝ているジェイソンの横顔が一瞬、ライアン・ゴズリングの生き写しに見える瞬間があって、あれはちょっと鳥肌ものであった。*2

しかし何だかんだとってタイトル通りの場面であるラストシーンに尽きるのかもしれない。

「バイク乗れるのか」という問いに無言で走り去るジェイソンは、バイクのエンジン音を聴いたあの頃の記憶が身体に染み付いていたかのうようで、美しいラストだった。

*1:レイ・リオッタが画面に出てきた瞬間からの不穏な空気の素晴らしさ!

*2:あと赤ちゃんジェイソンの演技(というか佇まい、仕草)は完璧といいたくなる。この赤ちゃん(いやもう赤様)はその後もドンピシャのタイミングで泣いたりして、なかなか凄い。