泥をはねのける必要はない。『ゼロ・グラビティ』

という事で川崎アイマックスシアターで観て来た。
一部ネタバレ。というほどでもないかもしれないけど。

ゼロ・グラビティ

宇宙開発という技術の最先端には感心する、というか呆けた顔で「すげーなー」という他ない。と同時に宇宙というフロンティアは、野蛮で残忍な世界でもあって。ちょっとした綻びが、とてつもない絶望を呼ぶ。
エイリアンが襲撃して来た訳でも、隕石が飛来してきたわけでもなく、まるで交通事故ように発生したアクシデントが引き起こす絶望は、静かに怖い。
いや、宇宙怖いです。
『クロニクル』の時にも感じたが、もはや映像がCGであるかないか、という前提はどうでもよくて、スクリーンに映っているものはどうあれ”リアル”であって、「まるで本物の宇宙空間にいるようだ」という感想が浮かぶ余地すらなく、ただその空間を感じることの快感。
特にロングショット(という表現が正しいのかどうか)で人物をとらえたときの静寂と美しさ。川崎のアイマックスは似非だと言われているようだが、それでも大きな画面で観る3D映像は観て損はない。冒頭の地上との通信は、観客の誰かが電話してんのか、と思うくらいにさりげなく響き、とても立体感のある音だった。
正直に言うと、かなり期待度を上げてしまっていたので、鑑賞直後は『トゥモロー・ワールド』の方が好きだな、なんて思っていたが日が経つにつれ「もう一度観たい」という欲求が高まってきている。
サンドラ・ブロックのキャスティングがベストであったかについては、疑問を抱かないではない。また物理学からみた瑕疵についても、おそらくはあるのだろう。
しかし宇宙服を脱いだライアン(サンドラ・ブロック)のTシャツ&短パン姿は、当然のことながらリプリーを想像するし、何よりスタイルがリプリーより良い。
胎児のように身体を曲げて浮遊するショットは、スターチャイルドの姿と重ねてみたり。え。とすると、最後の大気圏突入はスターゲイトなのか?特に強い根拠もなく言いたくなるが、それはともかくとしてラストでライアンが地面に突っ伏した時にカメラに撥ねた泥水は、結構しつこくレンズにあり続けている。
それを消す技術がない訳もなく、そのノイズは意図されたものだろう。『トゥモロー・ワールド』でも血痕が主張している長回し(風)シーンがあったが、それと比較した場合に印象も意味合いも違うような気がする。CGの最先端を駆使した宇宙空間の映像とアナログの世界との対比?先端技術によって成立している世界がちょっとした綻びで変化するという事なのか?ちょっとよく考えてみたいが、まとまらない。

地球に降りて来たライアンは、水中から陸に上がる。這いつくばった状態からようやく立ち上がる。まるで進化の過程を見せられているようなこの描写の意味するところは何か。リ・インカーネーションということなのかしら。

というか、そもそもライアンが降り立った場所は、どこか現実離れしてはいないか。
もしかしたら彼女が歩みを進めた先には、骨を振り回している類人猿か、あるいは馬に乗った猿がウヨウヨといるのかもしれない。