0.5秒のための120分。 『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

十代の頃、宝島だかホットドックだかで「今、ミニシアターが熱い」「話題の映画『ストパラ』特集!」なんて記事を読んだところで「そんなのこっちじゃやってないけんね」状態。結局『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を劇場で観たのは、東京で公開されてから1年以上は経過してからの事だったとおもう。

という事で
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

ジャームッシュの映画も久しぶりだ。劇場で観たのはおそらく『ナイト・オン・ザ・プラネット』か『ミステリー・トレイン』が最後か。近作では『ブロークン・フラワーズ』をDVDで観たくらい。朝一の回を観たこともあってか、正直眠気を誘われた場面がいくつかある。数秒オチていたかもしれない。しかし、ラストカットのカタルシスだけで、ご飯が3杯はおかわりできる。ティルダ・スウィントンの現実離れしたルック、全身に漂う”この世の者じゃない”感は流石というほかない。

彼女を筆頭とした登場人物たちの浮遊した佇まいと、所謂”オフビート”(というのもどうかと思うけど)的展開は、ともすれば催眠効果を生むのかもしれない。バンパイアが主人公の映画という事を考えれば、夜のシーンが主体(というか夜のシーンしかない)であるこの作品の、それもまた正しい鑑賞方法だった、という詭弁はともかくとして、ジャームッシュらしい独特のリズムは好みの別れるところともいえる。どちらかというと、そのリズムには親和性を感じていたし、2人組とそこへ現れる闖入者という図式は『ストレンジャー…』や『ダウン・バイ・ロー』を思い起こさせるものではあるが、しかし「あージャームッシュって感じだよねー」などと言いながらこの映画に接するのは正しい態度とは思えない。全ての作品を追いかけているわけでもないし、前作も未見だが、今までのジャームッシュ作品と今作は何かステージが違うような気がしてしまう。その理由は良く判っていないが、例えば凡庸なゾンビたる自分は「モロッコでピュアネスな歌声を聴きながら、静かに朽ち果てていくわけね」って感じのラストを想像していたので、こちらを鷲掴みにするような力強いラストシーンは嬉しい誤算。

only lovers left alive

「恋人たちだけが生き残った」という訳になるだろうか。このloversというのは当然主役のアダム&イヴ、の筈なんだろうけどラストを迎えるともしかしたら、”こっちの方”なのかな、とも思ったり。仮にアダムとイヴだとすれば「生き残ってしまった/残されてしまった」というニュアンスの方がしっくりくる。赤ワインのように或はアイスキャンディーのように血を摂取する姿は、21世紀のバンパイアスタイルとしてのクールの象徴、ではなくて「良い血がなくなってきている」ことの証明。天然物の生き血を戴くのがバンパイアとしての本望であるとすれば、それが出来ないのが今。
だからといってバンパイアとしての矜持を持っているのは、享楽的に生き血を求めるエヴァの方だ、というつもりはないが、「今は21世紀だぞ」というアダムの叫びはエヴァの野蛮な行いを断罪しているといよりは、取り戻す事の出来ない世界への嘆きにも思える。

エヴァのもたらした厄災が生んだモロッコ行き。いよいよ夜の街で朽ち果てていくしかないか、という刹那に見つけた果実。そこで露になるバンパイアとしての本来の相貌。いや、何度も言うけど素晴らしいラストカットだった。
このラストシーンだけでも観る価値がある。というかこのラストシーンのためにあった120分だったとさえ言ってしまいたい。