非あるある映画 『ブルー・バレンタイン』

怒涛の更新です。
せいぜい息切れしないように気をつけたい。

さて『ブルー・バレンタイン』
タイトルから受ける印象は「ちょっとほろ苦い大人の恋愛映画」、おっさん独りで観に行くタイプの映画ではない。
ところが、このタイトルはトム・ウェイツの曲名が由来らしく、それを聞けば少し心構えも変わってくる。
といってもその曲聴いた事はないんだけど。
とにかく、この作品、そんな鑑賞前の印象を軽く飛び越える破壊力を持っておりました。
※ネタばれってほどじゃないけど、何となく気になるところは隠しました。
 暗転すれば見えるようになってます。

結婚後のギスギスした夫婦の状態と出逢いから結婚に至るまでの様子が交互に描かれる本作。
とにかく主演ふたり(ミシェル・ウィリアムズライアン・ゴズリング)のビフォーアフターの落差、その空気の醸し出し方、それがとにかく素晴らしい。
ライアン・ゴズリング登場時の「は、禿げとるやないか!」と突っ込みたくなる風情もなかなかのものだが、何と言ってもミシェル・ウィリアムズ!良い、良いねえ!
寝起きの場面から食事のシーンでの表情、声のトーン、それだけで夫との距離感がビシビシ伝わってくる。
それに加えての「主婦感」
決して年齢を重ねていると言う意味ではなくて、独特の疲労感と倦怠感とでも言おうか。その佇まいが素晴らしい。

若い頃のふたり。
愚かではあるが純真で若々しいディーン(R・ゴズリング)と知性的ゆえの棘を感じるが時おり愛くるしい表情を見せるシンディ(M・ウィリアムズ)
そのふたりの輝きは決してまばゆいキラメキではない。
どちらかと言うと蝋燭の明かりのような危うさ。
いつか消えてしまいそうなほど危ういが、それでもやはり輝かしい。
この微妙なバランスが何とも言えない。

そのキラメキのハイライトはやはり路上での歌とダンスの場面だろうか。
ディーンの歌声とそれにあわせて踊るシンディ。
観客はすでに結婚後の空気を知らされているだけに、この蜜月一歩手前の少しくすぐったい距離感が、余計に突き刺さってくる。
微笑ましくもあり、そしてやはり哀しい。
そういう意味ではとても「痛い」シーンだ。

少し『(500)日のサマー』を思い出した。
あの映画でもラブラブ状態と倦怠状態が描かれていた。
例えばIKEAやレコード店デートのビフォーアフターの落差。
全体的に楽しい作品ではあったが、その中でもちょっと「痛み」を感じる場面だった。
『ブルー・バレンタイン』はそのエッセンスを更に濃縮した感じだと個人的には感じている。

一番の「痛み」を感じるのはやはりラブホのシーンだろうか。
あんな顔されたら、たまったもんじゃないですよ。
とにかくラブホの部分は色々とすごい。
しかし個人的にはディーンが指輪を投げ捨てるシーンを挙げたい。
病院から逃げるように立ち去る時、勢い余って草むらの中に指輪を投げ捨ててしまう。やや癇癪的な子供っぽい行動だ。
しかしやっぱり後悔して、指輪を探しに草むらの中に入って行くディーン。
そしてそれを放っておいて立ち去るかと思いきや、一緒に探すシンディ。
更に、その探し方は二人とも、それほど熱心ではなく、どことなく投げやりな感じだという。
あのどうしようもない空気。
この場面は台詞のない短いシーンだけど、情報量がスゴイので色々な感情が沸き起こってくる。
ラブホのエピほどインパクトはないかもしれないが、「痛み」を感じつつ、何とも言えない「奇妙な暖かさ」も感じるという箇所だった。

この映画は観客が決して同性が同性(のみ)に感情移入するようには出来ていないと思う。
「そうそう、男ってこうなのよ」とか「これが女のわからないところだよ」と言った類型的な同意を得ようとはしていないんじゃないかな。
ディーンに同情する場面もあれば、「いや、お前それはイカンだろう!」と思う箇所もある。シンディに対してもまた然り。
だから決して「そうそう、恋愛ってこういうものなのよねー」的なスタンスはちょっと違うんじゃないだろうか。
そういう「あるある」的リアル感は遥かに超えてしまっていて、「そこにある」リアルと言った方が近い。唯一のユニークな存在であるが故の普遍性、とでも言いましょうか。

なんだか何を言っているか分からなくなってきた。
とにかく、この映画は観た後に天狗なりマックなりでグダグダとあーでもないこーでもないと語りたくなる映画ではある。
自分は一緒に観た人間がいないので、独りガード下でホッピー飲みながら染み入っていたけど。

いやあそれにしてもミシェル・ウィリアムズ良いわ。惚れた。
この映画で惚れるのもどうかと思うけど。
評判通り良い女優さんでした。