自己犠牲の美しさを犠牲にしてまでも。『ダークナイト・ライジング』

例えば、ももいろクローバーZの「Z伝説」のメッセージはとてもシンプルで、もっと言うなら幼稚ですらあるわけだけど、何故か泣けてしまうという。
震災以降のメッセージとしての「負けない」とか「強くなる」という単語は確かにスポイルされていて、半ば斜に構えてしまう。
それでも彼女たちが叫ぶ「絶対諦めないっ!We are…!!」には抗えない何かがある。
何なんでしょうね、これ。
ってただのキモイ話になりました。

と言う事で
ダークナイトライジング』


個人的にノーランの特徴であり好きな表現のひとつであるヌメヌメとしたカーチェイスハンス・ジマーの音楽、あるいはアン・ハサウェイの大健闘など見所があって満足。
前作『ダークナイト』よりも『ビギンズ』の方に寄ってる印象。「あ。三部作だったんだよな」という事を思い出させる作りというか。そういう意味では良い締めくくりになったのではなかろうか。ノーランもいつまでもバットマン撮るわけにもいくまい。

CGをほとんど使わないアクションシーンには、言いようのない迫力というか異化効果(というのもおかしな話なんだが)があって、あれは良いですね。空飛ぶバットモービルのビートル感がカッコイイやら気持ち悪いやらで、ノーラン作品の好きな要素のひとつ。
長い上映時間についても、ダレる事なく(かといってテンポが小気味いいわけではない)最後まで観れたし、ラストの展開は個人的に「クル」ものがあった。

もちろん手放しで傑作だと言い切れない部分もありまして。
と言うわけで、今回はのっけからネタバレを気にせずにいきます。

まずは、「核」に対する雑さ、のような点は気にならないわけではない。ていうか気になる。
核融合エネルギーが「クリーンなエネルギー」かどうか、の是非はともかくとしても、きのこ雲を眺めながら「沖で爆発した。街は守られた!」というのは如何なものか、と思わざるを得ない。ついつい「ゴッサムシティの漁場どうなっちゃうんだろう?」なんて事も頭に浮かんでしまう。*1
いや別に「ザ・デイ・アフター」(トゥモローじゃないよ)みたいな描写をする必要はないんだけど、それなら「何だか知らないけどトンデモなく凶悪な爆弾」って事でいいような気もするし。それだとウェイン産業乗っ取りのラインがいらなくなっちゃうか。

それからベイン支配後のゴッサムシティの様子がいまいちピンとこない点もある。
ゴッサム市民は人質状態でありながら、それでも普通の生活をそれなりに営んでいたのか。自由に動ける人がいたりいなかったり。中にはベイン軍団に転向したような人もいるんじゃないか。「ブルジョア層をぶちのめせ!」みたいなプロ市民化したような人もいたんじゃないか、とかね。
終盤の警察軍団との衝突のシーンには、例えば街のパン屋さんから気がつけば革命戦士になったような人もいるかもしれない。その辺の描写は省略されている。あるいは「スイッチは街のだれかが持っている」というブラフによって、市民たちの間で疑心暗鬼がうごめく悪夢ような展開になるのかな、と思ったらそれはナシ。
もっとも、この辺に手を広げると大変な事になりそうなのでコレはコレで良かったのかもしれないけど。

ミランダ(マリオン・コティヤール)がラスボスである事が判明する事でベインの凄みが一気に萎んでしまったのも、ちょっと残念ではある。
結局お姫様の為に頑張ってただけなのか、お前は。って突っ込みもないわけではない。
ミランダの復讐と父親の遺志を完遂しようとする行動には理解を示したいし、彼女は、なかなか良い死に様を見せてくれたけど、そのことでベインの存在が小さくなってしまった気がする。

とかね。

それでも。
ラストの流れで全てを許してしまいたい気持ちになる。
この自己犠牲の美しさすら無にしてしまうヒーロー像には賛否両論あるところかもしれない。
何というかブルースの余裕に釈然としない気持ちを抱くのもわかる。銅像に代表されるようなヒーローとしての伝説と賛美を浴びる一方で、自動操縦でサラリと逃げ出すヒーローにカタルシスはないのかもしれない。
でも何というか、そういった自己犠牲を犠牲にしてまでも「普通の生活」へ戻ったブルース・ウェインには妙な共感をしてしまう。
いや共感ではないな。寛容な気持ちになる、というかね。
爆弾もろとも吹っ飛ぶことで得られるヒーロー性と自己犠牲の美しさを放棄する彼の行動には、むしろ潔さを感じてもいいくらいだ。

ラストでアルフレッド*2が見つけたブルース・ウェインの「休息」の姿にはグッとくるものがあった。*3
Great power を放棄することでGreat Responsibilityから解放されたブルースを責めることはできない。むしろ仕えるべきマスターを失ったアルフレッドに、彼が長年求めていた喜び/希望を最後の最後に与えることができて良かったじゃないか、という気持ちの方が強い。
同じく予め仕えるべきマスターを失っているロビンの誕生にだって希望を感じる。キャットウーマンの人生リセット計画も(多分)成功しているんだろう。
あれ。そうか。
もしかしたら、ブルース・ウェインよりもアルフレッドやキャットウーマンたちが得た「何らかの幸せ」が琴線に触れたのかもしれない。
あるいは分断された橋の上で「絶対諦めないっ…」と叫んだジョセフ・ゴードン・レヴィット演じる若い警官が嬉々として滝をジャンプする姿。ロビン誕生の瞬間。
あるいは副部長がまさに「自己犠牲」によって警官としての矜持を取り戻した瞬間。
こういった部分に心動かされてしまったのかもしれない。

そのクライマックスがラストのカフェのシーン。そういう意味では、ラストのブルース・ウェインとアルフレッドの無言の頷きのためにあった170分だったのだろうか。
どうかな。ちょっとナイーヴ過ぎるのかな。

ともかく。
アン・ハサウェイも良いし、マリオン・コティヤールの死んだような冷たい視線も健在だし、マシュー・モディーン*4も久しぶりに見れたし。
という事で、この作品に×をつける気にはなれない。
何だかんだ行ってゴッサムシティに戻ってきたバットマン(どうやって戻ってきたかは知らない。氷の上を歩いてきたに違いない。あの井戸を脱出できたんだからそれくらい出来るハズ)には、気分上がったし。メラメラ萌えるバットサイン。
それからバイクに乗ったキャットウーマン、カッコよかったじゃないですか。
バットマンがつかまってボコボコになっているのを見つめている時と終盤に街の封鎖を爆破したときのアン・アサウェイの表情。素晴らしかったですね。120点あげたい。

というわけで全体的には拍手を送りたい。

*1:さすがに『クリスタル・スカル』のように「被爆したけどシャワー浴びちゃえばOK!」ほどのインパクトはないけど。

*2:ハンス・ジマーの音楽とほぼ台詞のない場面の連なりはともすれば『インセプション』を思い起こさせて、「あれ?もしかしてアルフレッドの駒、廻ってるんじゃない?」なんて事も頭をよぎったりもしたが。

*3:このときのアン・ハサウェイの横顔が良いんですよ。なんというか無防備というか。

*4:しかしあの俗物的な上司的立ち位置には、自分が随分年をとったような気がしてしまった。でも最期の制服姿、流石に決まっていた。