i hate reboot Tシャツ欲しいよね。『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』

もちろんメダリストには敬意を払っているし、他の選手を貶めるつもりはまったくないが、それにしても真央ちゃんのフリーはとんでもなかった。
これほど大事なのはメダルではない、という事を証明したオリンピアンがいただろうか。
バンクーバーでの里谷多英の怒濤の攻め(彼女は転けてしまったけど)にも似た気迫と矜持を感じる4分間でしたね。
それにしてもエキシビションでの町田くんのエアギターは素晴らしかったけど、後ろからのカメラアングルを見たときに××しているように見えたことは内緒だ。

という事で
キック・アス/ジャスティス・フォーエバー

漏れ聞く評判から期待値を下げて臨んだが、いやいや面白いじゃないの。
パロディとベタ、そして飛び散る血のバランスが良く取れていたのは前作と比べても遜色はないと思う。ヒットガールの「よ!待ってました」感は、やや弱まったような気もするけど、例えばゲロマシンによるリベンジの痛快さは、キャリーのアナザーサイドとでも言えるようなもので良かった。(ちなみにクロエちゃんの『キャリー』は未見)
確かにアメコミヒーローとしての葛藤は、もはやパロディとは言えないほどで、キックアスを観ているのかスパイダーマンを観ているのか判らなくなりそうにならないでもなかったが、しかしその「真っ当な葛藤」が与えてくれるカタルシスは否定できない。
能天気な「じゃすてぃす・ふぉーえばーーー」のかけ声には、やや腰砕けになりそうだったし、ヒットガールがほとんどためらいなくその輪に入っていったことに違和感がないわけではない。
あるいはマーカスの間抜けっぷり/役立たずぶりやトッドの扱い/振る舞いに疑問や苛立ちを抱いたところもあるが、そういった部分は大きな瑕疵にはなっていない。
前作とどちらか好みかと言えば、もちろん前作を挙げる他ないが、それでも続編としては文句がないのではないでしょうか。
と同時に(クレジット後のエピローグの事は置いておくとして)、今作で完結した方がスッキリする。
もちろんヒットガールの物語は見続けていきたい気持ちもあるけど、少なくともデイヴのキックアスとしての役割は終わっているような気がするのは、ドクター・グラヴィティの爽やかな笑顔を目にしたからかもしれない。

ま、続編が出来たら観ますけどね。

0.5秒のための120分。 『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

十代の頃、宝島だかホットドックだかで「今、ミニシアターが熱い」「話題の映画『ストパラ』特集!」なんて記事を読んだところで「そんなのこっちじゃやってないけんね」状態。結局『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を劇場で観たのは、東京で公開されてから1年以上は経過してからの事だったとおもう。

という事で
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

ジャームッシュの映画も久しぶりだ。劇場で観たのはおそらく『ナイト・オン・ザ・プラネット』か『ミステリー・トレイン』が最後か。近作では『ブロークン・フラワーズ』をDVDで観たくらい。朝一の回を観たこともあってか、正直眠気を誘われた場面がいくつかある。数秒オチていたかもしれない。しかし、ラストカットのカタルシスだけで、ご飯が3杯はおかわりできる。ティルダ・スウィントンの現実離れしたルック、全身に漂う”この世の者じゃない”感は流石というほかない。

彼女を筆頭とした登場人物たちの浮遊した佇まいと、所謂”オフビート”(というのもどうかと思うけど)的展開は、ともすれば催眠効果を生むのかもしれない。バンパイアが主人公の映画という事を考えれば、夜のシーンが主体(というか夜のシーンしかない)であるこの作品の、それもまた正しい鑑賞方法だった、という詭弁はともかくとして、ジャームッシュらしい独特のリズムは好みの別れるところともいえる。どちらかというと、そのリズムには親和性を感じていたし、2人組とそこへ現れる闖入者という図式は『ストレンジャー…』や『ダウン・バイ・ロー』を思い起こさせるものではあるが、しかし「あージャームッシュって感じだよねー」などと言いながらこの映画に接するのは正しい態度とは思えない。全ての作品を追いかけているわけでもないし、前作も未見だが、今までのジャームッシュ作品と今作は何かステージが違うような気がしてしまう。その理由は良く判っていないが、例えば凡庸なゾンビたる自分は「モロッコでピュアネスな歌声を聴きながら、静かに朽ち果てていくわけね」って感じのラストを想像していたので、こちらを鷲掴みにするような力強いラストシーンは嬉しい誤算。

only lovers left alive

「恋人たちだけが生き残った」という訳になるだろうか。このloversというのは当然主役のアダム&イヴ、の筈なんだろうけどラストを迎えるともしかしたら、”こっちの方”なのかな、とも思ったり。仮にアダムとイヴだとすれば「生き残ってしまった/残されてしまった」というニュアンスの方がしっくりくる。赤ワインのように或はアイスキャンディーのように血を摂取する姿は、21世紀のバンパイアスタイルとしてのクールの象徴、ではなくて「良い血がなくなってきている」ことの証明。天然物の生き血を戴くのがバンパイアとしての本望であるとすれば、それが出来ないのが今。
だからといってバンパイアとしての矜持を持っているのは、享楽的に生き血を求めるエヴァの方だ、というつもりはないが、「今は21世紀だぞ」というアダムの叫びはエヴァの野蛮な行いを断罪しているといよりは、取り戻す事の出来ない世界への嘆きにも思える。

エヴァのもたらした厄災が生んだモロッコ行き。いよいよ夜の街で朽ち果てていくしかないか、という刹那に見つけた果実。そこで露になるバンパイアとしての本来の相貌。いや、何度も言うけど素晴らしいラストカットだった。
このラストシーンだけでも観る価値がある。というかこのラストシーンのためにあった120分だったとさえ言ってしまいたい。

どんな場所でも戦える武器。『Perfume 4th Tour in Dome』12/25 東京ドーム

という事で言ってきました東京ドーム。

今回は追加席での参戦。場所はライトスタンド上段、ポール近くあたり。
東京ドームは野球観戦でも余り来る事がない。それがよりによってライトスタンドに座ることになろうとは。いっそカープユニでも着てくればよかった、などと見慣れない風景を味わいながら開演を待つ。

座席位置としてはメインステージ、花道、出島、サブステージの全てから等しく遠い。メインステージもほぼ真横から観る形になり、決して良席とは言えない。
しかし会場全体が見渡せる眺めは、3人と45,000人をまとめて観る事ができるもので、それはそれで印象的な風景となった。

もうネタバレは良いんだろうか。良いんだよね。
開幕の”enter the sphere”、天井から降りてくる3人の姿の神々しさは、京セラドーム初日と同じだ、この登場の仕方は何度体験してもカッコいい。会場全体に嬌声とハンドクラップの音が広がる。
ところで。この日はハンドクラップ率がかなり高かった気がする。楽しみ方にルールはないとは言うものの、やや条件反射的な反応のような気がしないでもないでもない。いや、自分だってやりましたけどね。
さて。
いつも言っている事だけど、MCのgdgd&ほわ〜んとしたノリ、そしてP.T.A.コーナーの「おかあさんといっしょ」状態、そういった部分と曲を演っている時のギャップにはクラクラさせられる。
「のっちからクリスマスプレゼントもろたんよ」とかいったやりとりから、その直後にはバシーッとキメて踊っている。そしてそのどちらもがPerfumeだ。
最近の個人的お気に入りとなっている”だいじょばない”は、いつもならのっちのカッコよさに注目していたけれど、この日はかしゆかのバッテンボーズのクールさに目を奪われた。かしゆかが近くにいる場面が多く、どうしても彼女を観る機会が多くなっているのだが、”ふりかえるといるよ”でも、終盤のやわらい動きの流れから生まれるグルーブ感のある手足の動きが素晴らしい。上手く説明できないけど、こう肩がクイっと入ったりして、まあとにかく良いのです。
あ〜ちゃんのテンションは京セラ初日の暴走モードと比べれば落ち着いている。いや、もちろん比較的に、ということではあるけれど。
あ〜ちゃんの言う事を聞く」、この日もこの心得をきちんと守って「サンタ、トナカイ」のかけ声にあわせて身体を動かす。京セラ初日からはバージョンアップしていて、新たに「雪だるま」が追加されていた。これが予想以上に楽しい。悪戯っぽい顔で「ゆっきだるま!」とやる姿の微笑ましいこと。
自分のいたブロックは、序盤は動きの少ないエリアだったけど、このP.T.A.コーナーで完全に暖められた気がする。

スタンドからの眺めは想像したよりもレーザー演出の派手さなどは感じられなかった。飛び交うレーザーやライト、モニター映像など美しいことは間違いないが、やや控えめの印象。そういう意味ではJPNツアーの方が、派手さやギミックに溢れていたのかもしれない。
しかしそれは重要な事ではなくて。
この日感じたのは、3人が東京ドームを自分たちのステージとして完全に「モノにしている」という事だ。その大きさや観客の多さに圧倒されることもなく、完成されたパーッケージとしてのエンターテインメントを魅せてくれている。
ソニマニ、京セラで感じた「レベルが上がっている」という印象は変わらない。
スタンドから見える3人は、確かに米粒のように小さかったけれど、それでも45,000人と向き合っている3人の存在感のデカさ。スタンドから観ることでその印象は一層強くなったのかもしれない。
メインステージにいても、サブステージにいても、トロッコに乗っていても、とにかく何処にいても3人が近く感じられたのは気のせいではないと思う。
モニターの位置が真横だったので、観る機会が少なくなったということもあるが、この日は遠くにいるときでも、その遠くにいる姿を観ている事の方が多かった。それでも疎外感を抱くことはない。

”Party Maker”こそハンドクラップが相応しい曲だ。アルバムで最初聴いた時は、あけすけなタイトルに少し違和感を感じていたが、聴いていく内に印象は変わっていったし、何しろLIVEでの破壊力が高い。「ぱーりーめーかー!」で得られるカタルシス

ポリリズム”が定番曲であって、LIVEで観たいセットであることには疑いはない。しかし仮に”ポリリズム”がなかったとしても不満を感じなかったのではなかろうか。とも思う。”ポリリズム”でアガったのは事実だが、しかし銀紙が発射されたのは”チョコレイト・ディスコ”のラストであった事が、何となくその答えなのかもしれない。いや、”ポリリズム”観たいけどね。
”MY COLOR”の「せーのっ!」は相変わらす素晴らしい。「一回しかやらないからね」の台詞がなくなったのは少し残念だけど、それでも一斉に挙がる手のひらは壮観だった。と同時に「これで終わってしまう」という感傷もある。
ラストの挨拶では、かしゆかが涙ぐみながらこう言っていた。「この3人で良かった」
単純でありきたりなフレーズかもしれないが、彼女から発せられることで琴線に触れる。触れまくる。
あ〜ちゃんはいつものように泣きながらの挨拶だったけど、でもそこには自信に満ちた様子が伺われた。

戦う武器は手に入れた。
準備は整った。いつ何時、何処で誰とでも勝負できる。

もちろんそんな事は言ってなかったけど、そういう力強さを含んでいるように聞こえた。
という一方で「(みんなのこと)信じとるけんね」と、思わずこちらがアワアワしてしまうような事を言うから困る。

「それではPerfumeでしたー!」の一言で一度舞台を去ったあとに待っていたのは、アンコールというよりはエピローグというのが相応しいエンディング。
”Dream Land”
3人の表情は、穏やかであるとも言えるし、またどこか現実離れしているようにも見える。特にかしゆかの眼差しが印象的で、まるでアンドロイドのようなその瞳は、哀しさを帯びているようだ。夢の国は、この3時間だったのか。それとも3人が帰っていく場所なのか。
いずれにしても3時間はあっという間に終わった。いつもの事だ。

明るくなった東京ドームを出て、そこにあったのは満員電車という現実だったが、まあよい。

SEE YOU NEXT LIVE

やる前から終わった後の心配するバカいるかよ!『ももいろクリスマス2013』12/23 西武ドーム

という事で言ってきました西武ドーム

ももいろクリスマス2013 美しき極寒の世界

いや寒い。判ってはいたけど寒かった。
ヒートテック長袖+Tシャツ+薄めのパーカ+グッズユニ+厚手のジャケットという装備で行ったが、それでも寒い。
熱燗でも飲んで身体を暖めたいところだけど、飲酒厳禁を守る。そもそも尿意問題もあり、開演前からLIVE終了までほとんど飲食していなかった。
そんな中で口にした山田うどんのパンチ(モツ煮)は評判に違わぬ味で美味しかった。暖まったし。

開演前にはご丁寧にブリザードの効果音が流れている。そしてメンバーの煽りナレを聴きながら、じっと開演を待つ。
30分遅れで開演。もちろん入場や物販その他にまつわるドタバタについては改善の余地多いにあり、という状態ではあったが、そのこととLIVEとは切り離して考えたい。

今回の席はスタンドBブロックの一桁列。野球観戦としては悪くない席だが、ことLIVEに関してはステージからも遠い。ただ全体が見渡せるということでそれほど不満はなかった。
冒頭のプライド演出はいつもの通り。去年のSSAでは火柱の温度を感じたが、さすがに今回は体感温度に変化はなし。安定の杏果泣きについてはモニターでは確認できなかった。(ちょっとモニターが小さかった気がする)
選手紹介の際の村主さん登場演出。奇しくもSSAでは日本選手権が行われているはずだ、とちょっとそんな事も考えながら観ていたが、彼女のエンターテイナーぶりが発揮されたスケーティングはとてもマッチしていて良かった。

ド頭は”どどんが節”で祭り気分を一気にヒートアップ、と読んでいたが、”僕セン”だった。言われてみれば、そりゃそうだ。
セトリについては、あの曲がこの曲がといっていてはキリがない。
早い段階で”労働”や”猛烈”を演ったのは「暖め」の意図があったのかどうか。
限定CDの新曲は、ももクロちゃん達が楽しそうにやっているので良しとしたい。マイクスタンドも新鮮だったし、広瀬香美の曲も遊び心があって悪くない。GOUNN衣装でないGOUNNも初めてかもしれない。カ・ル・マ!の所は思わずコールしたくなるが自重しておいた。

LIVEが始まれば寒さなど飛んでしまっていて、トイレ問題も全くなかった。トイレと言えばインターバルのアニメをトイレタイムに使う人が多かったけど、あれは何気に観ておいてよかったと思う。最後ちょっと泣きそうになりましたよ、おじさんは。
恒例の”サンタさん”でのマジックショー。切断マジックはネタがあることはもちろん判っているが、それでもなかなかの出来。歩き出す下半身が怖い。最後は高さんとしおりんの下半身が入れ替わって「ちがーーーう!」みたいなボケがあるのかと思ってたら、それはなかった。そして「鉄板です!」を連呼する杏果を微笑ましく眺める。

さて全体が見渡せて良いじゃないか、と自分を納得させていたスタンドB席であったが、思わぬクリスマスプレゼントが待っていました。
気がつけば通路にロープが張られているので「おや?もしや…!」と思っていたら数m先の通路をトロッコが通過するじゃありませんか!!
左右から迫ってくる「ももたまい号」と「高さん&あーりん号」、そして遠くから迫ってきたかと思えば疾風のごとく通り過ぎて行く「杏果自転車」。
ブロック最前列ではなかったが、それが幸いで、丁度眼の高さを通過するももクロちゃん達。いやー眩しい。ほとんど曲の記憶がない。
回数は少ないが、過去の参戦史上、最短距離での遭遇に夢心地。
ここからラストまでは独特の高揚感があった。そして毎度のごとく”白い風”には泣かされる。特に今回の村主さんを取り入れた演出が効いていたと思う。彼女が滑り終えたタイミングでの高さんの「アスファルトー♩」の破壊力。個人的には本編のハイライトだった。
終わった後の余韻に浸る間もないgdgd茶番もまた彼女達らしい。「この曲最後だったんだけど」という杏果のツッコミも含めて。
この時点でかなりの満足度だったわけだけど、まさかそれ以上のカタルシスが待っていたとは。

overtureで弾けた後に登場したももクロちゃん達は白いシスター風(あるいは「給食のおばちゃん」)衣装で登場。黒い週末のきっかけは、あーりんのグルグルパンチから高さんのゲホゲホ。この始まり方好きです。
杏果の「でんぐり返しだ!」や高さんがどうしてもやりたかったという「だんご三兄弟」などでワチャワチャやっているのを微笑ましく観ているところで告知タイムがやってくる。

国立2DAYS。
まず目に入ったのは涙ぐむしおりんだった。彼女の涙を観て、こちらの涙腺も緩む。気がつけば全員泣いていて、高さんに至っては号泣に近い。あーりんでさえも進行ができなくなっている状態で、おそらく段取りを指示されたのだろうが「そんなのできないよ!」と言っている。

そこからは怒濤の展開だった。最後の生声あいさつまで感情がエスカレートしていく。
高さんがほとんど歌う事のできなかった”あの空”、そして”スターダストセレナーデ”。アンコールの一幕は、誤解を恐れずに言えば解散コンサートのようなカタルシスすら感じた。
それだけ国立という舞台を大きく感じていたという事かもしれない。ちょっと時期尚早ではないか、という思いがあったことも否定しない。下手したら国立がゴールになってしまうんじゃないかという危惧すら抱いていたことを告白する。
しかしそんなものは杞憂だった。数分後に19歳の女の子から発せられた言葉に打ちのめされることになる。

我らがリーダー夏菜子ちゃんの一言は、ある意味gdgdで体をなしていない状態で始まった。「え〜何だろ。何言えばいいんだろ」となかなか言葉が出てこない。会場全体からの声援に涙を堪えるのに精一杯という状態。
そんな彼女が突然言い放った言葉。

「こうなったら、どこまで行けるか見てみたいなって思って」
「みんながついてこれなくなる、脱落しちゃうような場所へ」
「それでも、皆はついてくるのが判っているから」

なんという殺し文句。
一字一句正確ではないが、とにかくチマチマ小さい事を考えていた自分が恥ずかしくなる決意表明。無意識とも言える突発性で、こういう言葉が出てくるのが彼女のとんでもないところだ。直後に「百倍返しだ!」をドヤ顔でやるところも含めて。

こういう事があるから見逃せない。

気がつけば3時間。しかしあっという間の3時間だった。笑いあり涙あり、格好良さあり、ちょっとした苦笑いとそして眩しさ。
とてもいいLIVEだった。
帰りの西武球場前駅の大混雑にはうんざりしたけど。

泥をはねのける必要はない。『ゼロ・グラビティ』

という事で川崎アイマックスシアターで観て来た。
一部ネタバレ。というほどでもないかもしれないけど。

ゼロ・グラビティ

宇宙開発という技術の最先端には感心する、というか呆けた顔で「すげーなー」という他ない。と同時に宇宙というフロンティアは、野蛮で残忍な世界でもあって。ちょっとした綻びが、とてつもない絶望を呼ぶ。
エイリアンが襲撃して来た訳でも、隕石が飛来してきたわけでもなく、まるで交通事故ように発生したアクシデントが引き起こす絶望は、静かに怖い。
いや、宇宙怖いです。
『クロニクル』の時にも感じたが、もはや映像がCGであるかないか、という前提はどうでもよくて、スクリーンに映っているものはどうあれ”リアル”であって、「まるで本物の宇宙空間にいるようだ」という感想が浮かぶ余地すらなく、ただその空間を感じることの快感。
特にロングショット(という表現が正しいのかどうか)で人物をとらえたときの静寂と美しさ。川崎のアイマックスは似非だと言われているようだが、それでも大きな画面で観る3D映像は観て損はない。冒頭の地上との通信は、観客の誰かが電話してんのか、と思うくらいにさりげなく響き、とても立体感のある音だった。
正直に言うと、かなり期待度を上げてしまっていたので、鑑賞直後は『トゥモロー・ワールド』の方が好きだな、なんて思っていたが日が経つにつれ「もう一度観たい」という欲求が高まってきている。
サンドラ・ブロックのキャスティングがベストであったかについては、疑問を抱かないではない。また物理学からみた瑕疵についても、おそらくはあるのだろう。
しかし宇宙服を脱いだライアン(サンドラ・ブロック)のTシャツ&短パン姿は、当然のことながらリプリーを想像するし、何よりスタイルがリプリーより良い。
胎児のように身体を曲げて浮遊するショットは、スターチャイルドの姿と重ねてみたり。え。とすると、最後の大気圏突入はスターゲイトなのか?特に強い根拠もなく言いたくなるが、それはともかくとしてラストでライアンが地面に突っ伏した時にカメラに撥ねた泥水は、結構しつこくレンズにあり続けている。
それを消す技術がない訳もなく、そのノイズは意図されたものだろう。『トゥモロー・ワールド』でも血痕が主張している長回し(風)シーンがあったが、それと比較した場合に印象も意味合いも違うような気がする。CGの最先端を駆使した宇宙空間の映像とアナログの世界との対比?先端技術によって成立している世界がちょっとした綻びで変化するという事なのか?ちょっとよく考えてみたいが、まとまらない。

地球に降りて来たライアンは、水中から陸に上がる。這いつくばった状態からようやく立ち上がる。まるで進化の過程を見せられているようなこの描写の意味するところは何か。リ・インカーネーションということなのかしら。

というか、そもそもライアンが降り立った場所は、どこか現実離れしてはいないか。
もしかしたら彼女が歩みを進めた先には、骨を振り回している類人猿か、あるいは馬に乗った猿がウヨウヨといるのかもしれない。

スタンドからの風景も観たいという贅沢な欲望。 Perfume LEVEL3ドームツアー@京セラ12/7(土)雑感

という事で京セラドームに遠征してきました。
東京ドームが平日ということもあり、土日開催の京セラドームへ参戦する事に。

新幹線のぞみで新大阪へ。いつもなら車内で朝からビールをぷしゅーとやるところであるが、今回は自制。遠足前のこどものように前夜なかなか寝付かれず思わず飲み過ぎてしまったこともあるし、Live中の尿意を恐れていたことも理由のひとつ。
新幹線の中ではLEVEL3を聴きまくっていた。
途中何度目かの”enter the sphere”が耳元で鳴っている時にふと外を眺めると曇り空の中から太陽の光が絶妙のタイミングで差し込んできていて、とてもテンションの上がる瞬間があった。liveへの期待が膨らむ。
新大阪到着後、そのまま京セラドームへ。PASMOがそのまま使えるのが嬉しい。
京セラへ向かう電車の中には通称「シャカシャカ」パーカーを身につけている人がチラホラ。*1


開場3時間前ということもあり、グッズは比較的すんなりと購入できた。パンフ、ツアータオル、ツアーTという定番グッズに加え、おそらく開けることのないだろうピュレグミをひとつ。トートバッグはとりあえずスルーしておいた。*2
3Dスキャンについては惹かれたものの、列が凄かったのでスルー。

心斎橋で、はいからーうどんのおにぎりセットを食べて、ホテルにチェックイン。ツアーTシャツを着込んで再び京セラドームへ。
今回の席はアリーナA。真正面ではないものの、ステージまでかなり近い。JPNツアーの時も初日はアリーナEだったがそれとは比べ物にならないくらい近い。*3
開演前の時間を静かにテンションを上げながら過ごす。

さて。
開演中の出来事についてはネタバレ厳禁をお達しがあるので触れない。
MCのgdgdとしたやり取りと可愛らしさ*4とバキバキの格好良さとのギャップにクラクラする2時間半。ソニマニで感じた「ステージがワンランク上がった」という印象は間違いではなかったようだ。
開幕から格好良さ全開で、終わり方も美しい。
エンディングでは満足感とともに「ああ…終わってしまった」という夢から覚めたような脱力感が混在していた気がする。
あ〜ちゃんがケタケタと笑い*5かしゆかの微笑み、そしてのっちの煽りを近くで目撃できたことも勿論嬉しい体験だったが、同時にスタンドから眺める風景もまた素晴らしかったに違いないと思わせる。
ちょっと前のラジオschool of lockでのっちが言っていた「2階から観るのも…良いッ!」という”予告”は単なる方便なんかではなくて真実のはずだ。いやホント上からの眺めはどうなっているのだろう。観たい。できることなら翌日も観たい。しかし叶わぬ話。嗚呼、やはり2日間チケットを取っていれば良かった。
ということで実は東京ドームの追加席を先日申し込んでいたりする。今から待ち遠しい。どんな席になるかは判らないが、どの席であっても(たとえ見切れ席でも)観るべき風景がそこにあると思っている。

規制退場は良いクールダウンの時間となり、ストレスはなかった。しかしドーム前千代崎はかなりの混雑で駅に着いた時には入場規制のアナウンスが。
あきらめてタクシーで心斎橋へ。
「京セラから?…え?このコンサート観るためにわざわざ東京から来はったんですか?」と運転手さんに言われたり、東京の景気事情について口からでまかせの適当な受け答えをしているうちに目的地へ。近くまで運んでくれた運転手さんに感謝。

しかし残念ながら目的の店は満席の様子。別な場所を探す事にしたのだが、結局臭覚を頼りにするほかなくピンと来た店に飛び込んだ。
が、これが正解でありました。
小さな店だったけど、奇麗だしマスターの仕事ぶりも丁寧で好印象。あえて店名は伏せておくがまた訪れたい。

翌日は大阪城を観たり、串カツを食ったりしたのちに帰京。
それにしても梅田ってのは都会ですな。なんというか東京とはまた違った都会感があるというか。それが何なのかは説明でないけど、正直圧倒されました。
現代的な都会の部分と、一転地下に潜ると昭和チックな食堂街が迷路のように広がっていたりして。
ここで入った串カツ屋さんも、大変なにぎわいで最初は入るのに躊躇したのだが、店員さんも親切だし中々の心地よさ。うん、また来よう。場所は忘れたけどまた迷いながらウロウロすれば良い。

Perfumeを観た帰りは、いつも自分の中の毒素が浄化されるような錯覚をおぼえるのだが、今回はそれに加えて肌もツヤツヤした気がする。
大阪ではそれなりに夜更かししたり飲み食いしたりと不規則な時間を過ごしたのに、何故か肌には潤いが。
つまりは ぷれぜんてっど ばい ちょこらびーびー ということなのかもしれない。

*1:大阪城ホールでは永ちゃんのLiveも同日程で行われていたようで、奇しくも広島繋がりだったりする訳だけど、そりゃホテルも満室になりますわな

*2:が、後からやっぱり欲しくなって終演後にグッズ売り場を覗いてみたら見事にsold out…

*3:この時も終盤サプライズ的に近くまで来てくれたりはしたけど

*4:それにしてもある衣装でのアレはちょっと卑怯というくらいの破壊力だった。

*5:この日はいつにも増してテンションが高かった。そしてそれを受け止め、時にノリ時に上手くフォローしながらバランスを取る、かしゆかとのっちという存在。当たり前のことですが、3人あわせてPerfumeです!

ローラ・ダーンに匹敵する破壊力を持った泣き顔を見せてくれたドーソン姉さんに敬意を込めて。『トランス』

自分の中にある映画や小説その他エンターテインメントのリファレンスから「これはアレがナニでソレなんじゃないか」という想像や予想はするもので。

と言う事で
『トランス』

シャレオツな音楽と映像で彩られた犯罪サスペンスbyダニー・ボイル、という認識で鑑賞したわけだけど、それはいい意味で裏切られた。
すっきりと全てが解決というカタルシスはないが、それがむしろいい方向に作用していて満足度は高い。世界がグワンと歪む感覚の心地よさ。

絵画の行方を探る、という目的が主軸となっていながら、それが記憶を探る(再生する)という鍵に委ねられている展開になっていることで、我々は既に騙されている。騙されるしかない。
記憶の再現によって「絵画の行方」という謎を解決するという展開は、ストーリー上のカタルシスを与えると同時に我々の視点を誘導することで色々な判断が狂わされるという効果がある。
では「信頼できない語り手」のオンパレードによって、それが「結局何でもあり。言ったもん勝ち」という展開にはなっているかというとそうではなく、それは適度な混乱とカタルシスが良いバランスで配置されていたからだろう。

インセプション』が現実と夢の世界を「階層1、階層2、…階層n-1、階層n」という直線的でわかりやすい構造で表現していた事ーもちろんそこで現実とされている世界が階層nに過ぎないという疑念を抱く余地はあるものの、直線的に階層を降りて(上がって)いくという構造は単純で判りやすいーと比較すると、今作では現実と睡眠療法中の世界がバラバラにそしてシームレスに進行していることで、観客に混乱が生まれる。
確かに「これは催眠中の世界ですよ」という印が刻印してある場面もあるし、その他ヒントめいたものが散らしてあるようだが、それがまた曲者であって。サイモンとエリザベスの初対面での、過去に面識があることを隠す気のない描写や会話による伏線・ヒントといったものが却って我々を迷わせる。
インセプション』にせよ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にせよ、あるいは『マトリックス』でも良いが、そこで描かれるレベルの異なる世界間の旅は、いずれも「元に戻る場所」(それがリアル世界であるなしに関わらず)があるという前提がある。
その前提がある上での、行ったり来たりであったはずだ。しかし『トランス』ではその「戻るべき場所」がはっきりとしない。させていない。
我々が途中まで、ここが「戻る場所」なんだな、と思っていた世界はアッサリと覆される。
基盤となる立ち位置が不安定であることに対する我々が抱く疑念は、そのまま作品内のキャラクターが他者(あるいは世界)に対する抱く疑念と重なる。それによってサスペンスとしての要素が成立しているといっても良いと思う。

そして忘れてならないのはキャスティング。
何より、ジェームズ・マカヴォイというキャスティングが、すでに我々を騙すものになっている気がしてならない。

以下はネタバレ。

サイモンというキャラクターに我々は感情移入する。彼が絵画を隠したのが意図的だったのか事故だったのかは別にして、そこには何かしら観客を説得できるだけの大儀があるだろうと無意識に感じている。絵画を守る為にフランクを出し抜いたにせよ、あるいはエリザベスと共謀し絵画を手に入れようとしていたにせよ。
ジェームズ・マカヴォイのキャリアを全て追っているわけではないが、彼が演じている時点で多かれ少なかれそういった先入観は持ってしまうのは一般的な事だと思って差し支えないだろう。
しかし蓋をあけてみれば、彼の演じるサイモンはギャンブル好きのDV野郎、おまけにストーカー気質でパイパン好きの変態だったわけで。
これが一番の驚きだったわけだけど、まあこうして書いていてもジェームズ・マカヴォイを「このクズ野郎!」と罵る気にならないムードを彼がまとっている、この事実こそがキャスティングの意図であったのだろうと確信する理由。だからこそ終盤がエリザベスの復讐譚になっているにも関わらず、サイモンの事がどうしても憎みきれない。自ずと我々の感情は不安定になる。
ヴァンサン・カッセルについても同様で、エリザベスが「昔の男が暴力的で」と言った時「それコイツの事なんじゃねーの」と思うのは割と正常な反応だと思う。しかし中盤から終盤にかけては、エリザベスに振舞わされているだけの可愛そうな人になっているし、オチにいたってはかなり良い人オーラまだ出しているし。マカヴォイほどではないが、これもイメージを利用したキャスティングが意図されているようにしか思えない。
鑑賞中に「これはあのパターンじゃないのか。あるいはこのパターンでは」と色々展開を予想していた訳だけど、そのひとつとしてフランクとサイモンは同一人物ではないのか?という想像したことを告白することに躊躇はない。でも、そういう人多いと思う。
ファイト・クラブ』的展開を頭に浮かべた人、結構いるはずだが、どうか。
ただそれを決定づける箇所もないし、むしろそうであると色々と成り立たない部分の方が多そうだ。
だから間違いであるとは思うが、ただラストのエリザベスの告白の場面で一回「サイモン」の名前を出すところがあった記憶があって、あそこは少し気になる部分ではある。
考えてみれば埠頭での出来事はエリザベスの記憶操作であるとして、誰の記憶操作だったのか?と。「はっ!…夢か」とプールで目覚めたのはフランクだが、今までその役割を担っていたのはサイモンで、そのサイモンの不在は「ちょっと待て。ここはどこだ?君は誰だ」という不安につながる。
また、逆に言えば埠頭での出来事が記憶操作であるということも疑わしいし、フランクに「何だ、夢か」と思わせたこと自体がエリザベスの操作だったのかもしれない。
あるいは赤いクーペに乗っていたのはやはりエリザベスで、殺された女などいなかったのかもしれない。
はたまた極端で馬鹿馬鹿しい想像をすれば、エリザベスの復讐譚は実は見せかけであって、全てはまるっきり嘘だったのかもしれず、フランクへの遠まわしのプロポーズだったという『ゲーム』的展開となる可能性だって否定はできない。
エリザベスによる催眠療法(記憶操作)がどこから始まって誰に対して行っているのかなんて誰にも証明できない以上、全ての出来事を疑う必要がある。

ということで考え始めればキリがなくて、たとえば指の絆創膏を手がかりにシーンを分析したり、構造を図式化したりすれば、もしかしたら見えてくるものがあるのかもしれないが、それはあまり意味ない事かもしれず。
ただ騙されたままでいるのが正しい態度のような気がする。
最後に劇場に静かに響いたノックする音を聞くと、そう思うしかないじゃないか。